保守論客の独り言

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即位の礼について(3) ~憲法と皇室の矛盾~

天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿(せいでん)の儀」が、皇居・宮殿で行われた。一連の皇位継承の中心をなす伝統儀式が挙行されたことを心よりお祝いしたい》(10月23日付読売新聞社説)

 陛下が即位を宣言されたことがお目出度いのであって、<伝統儀式が挙行されたこと>を祝うのは「フェティシズム」である。言葉尻をとって論(あげつら)っているかのように聞こえるかもしれないが、読売社説に対する違和がすでにここに感じられるということである。

《陛下は高御座(たかみくら)と呼ばれる壇に昇られ、「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」と誓われた。

 即位の儀式は千数百年前に始まったとされる。陛下は伝統を受け継ぎつつ、国民主権憲法の下で、国民の幸せを希求する姿勢を改めて示されたと言えよう》(同)

 戦後民主主義を肯定する読売新聞の立ち位置が良く分かる。

<伝統を受け継ぎつつ、国民主権憲法の下で、国民の幸せを希求する>などということが果たして可能なのか。それは「矛盾」ではないか。伝統に基づけば憲法に背くことになり、憲法に従えば伝統に反することにならないのか。今回の儀もいかにもうまく執り行ったかのように見えるが、その実(じつ)は「ごまかし」なのではなかったか。

《そもそも天皇の存在は、憲法で「日本国民の総意に基づく」と根拠を示している。天照大神天孫降臨の神勅による古い時代の天皇とは、根本的に異なる。だが、即位礼は神話に由来する玉座「高御座」から即位を宣言する形式を採る。「憲法国民主権政教分離の原則と両立しない」とする声も出てくるゆえんだ。

 「万歳」の光景も単なる祝福の意ばかりなのか。戦前回帰と受け止められないよう細心の気遣いを要する。来月の大嘗祭神道形式で行われる宗教色の濃い儀式であり、政教分離原則との整合性に疑義が示されている。

 皇位継承という伝統の重さは十分に理解する。それでも天皇神道との接近、あるいは天皇の権威を高める効果がないかも考慮すべきだ。象徴天皇制にふさわしくありたい》(10月21日付東京新聞社説)

 戦前を否定すべく書かれた米製憲法が皇室の伝統に合うはずがない。憲法を尊重するのなら皇室の存在は縮退せざるを得ない。

 憲法を尊重しながら皇室の伝統も大事にしようなどというのは憲法のことも皇室のことも良く分かっていないからこそとれる「いい加減な態度」である。本来なら今回の譲位に伴ってこの矛盾が浮き彫りにされても良かったはずだが、このことに蓋をし、問題を先送りにしてしまったのは、現政権の覚悟のなさに発するものなのか、それとも戦後日本人の精神力の弱さから来るものなのか。【続】