保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

天皇即位に伴う恩赦について

天皇陛下の即位に伴う今月の「即位礼正殿の儀」に合わせ、政府は恩赦をする方針だ。国家の慶弔時に慣例的に行われるが、「もはや遺物」の声も。民主主義の時代にふさわしい在り方を探りたい》(109日付東京新聞社説)

 私は「恩赦」なる慣例に反対である。それは敗戦後70年以上が過ぎ、戦後民主主義が定着したからではない。刑の軽減と陛下の即位に正当な因果関係を見出さないからである。

  陛下が即位されたからといって犯した罪が変わるわけではない。だから罪に対する刑罰も変わることはない。なのに「恩赦」などといって刑を軽減するのは意味不明でしかない。

 確かに、その意味不明なことが慣例としてなされてきたのではあるが、これからの天皇制を考えるにあたって、改めるべき「慣例」は改めるべきであろうと思う。

 長年にわたって続けられてきたことは絶対に変えてはならないなどという硬直した考え方が「伝統」というものではない。変えるべきは変えればよい。勿論、伝統を軽くみて、安易に慣例・慣習を変更するようなことは避けなければならないけれども、変更を忌避するだけでは本当の意味での「伝統」は継承されることはない。

日本国憲法天皇は象徴であり、政治的権能を持たない。天皇即位を祝う意味での恩赦は、天皇の権威を高める作用を及ぼすか、政権による天皇の政治利用と国民に受け取られかねない》(同)

 私は恩赦によって<天皇の権威を高める作用を及ぼす>とも思わないし、<政権による天皇の政治利用>だとも思わない。ただ、惰性的慣例によって今回も恩赦を行おうとしているのではないかと思われる。だとすれば、やはり恩赦は「意味不明」である。

司法権の判断を行政権によって変えてしまうのが恩赦だ。刑事裁判の効力を消滅か軽減させる作用を持つためだ。三権分立の原則から考えて適切なのだろうか》(同)

 教科書的に言えば、このように言えるのであろうと思われる。行政が司法の判断を覆(くつがえ)す意味合いが恩赦にはあるということである。

《裁判で確定した刑罰を免除したり、失った資格を回復させたりする恩赦は、行政による司法権侵害の側面があり、三権分立との整合性も問われる》(108日付北海道新聞社説)

 恩赦が日本の歴史文化にそぐうものであればあってもよい。が、ただこれまでも恩赦を行ってきたというだけでは歴史文化にそぐうとは言い難い。

 日本の悠久の歴史の重みを考えれば、明治以降の三権分立を絶対視する必要はないと思うけれども、恩赦が慣例以上の意味を持たないとすれば、これを今後も続けていく必要はない。私はそう考える。