保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

芸能人の政治的発言について(3) ~ころっと騙される政治素人~

芥川賞作家の平野啓一郎氏は言う。

《「政治について語ること」は、依然としてタブー視されがちである。政治は立法を伴って、一つの社会システムを形成するために、対立する意見に優劣をつけ、選択を迫ることになる。検察庁法改正によって、内閣や法務大臣に、幹部検察官の定年及(およ)び役職定年を延長させる権限を与えるという案については、賛成か反対かのいずれかである》(西日本新聞2020/5/25 11:00)

 これは平野氏の思い込みである。<政治は立法を伴って、一つの社会システムを形成するために、対立する意見に優劣をつけ、選択を迫ることになる>などと半可通(はんかつう)よろしく宣(のたま)うが、国会をこのような短絡的な考え方に閉じ込めることが「熟議」の足かせになってしまうのである。

 勿論、最終的には多数決によって1つの意見を採ることになるが、大事なのはその過程である。必ずしも多数派の意見が少数派の意見より優れているとは限らない。だから互いの意見を戦わせることによって、自分の意見の誤った部分に気付いたり、相手の意見の優れた部分を見出したりしながら、より高次の意見へと互いの意見を止揚(しよう)させようとするのが「熟議の民主主義」というものである。

《私自身は、三権分立の原則から、また政権に近いとされる黒川弘務東京高検検事長22日辞職)の脱法的な定年延長の追認という目的が見え見えであるので、法案には反対だった》(同)

 検察庁は行政府に属するのであって、この問題で<三権分立>を持ち出すのは勉強不足である。また、黒川氏が政権に近いとされるのはおそらく「デマ」で、新聞記者との賭け麻雀騒動からも分かるように、黒川氏はむしろマスコミとずぶずぶの関係にあったと思われる。

 このように多くの政治素人たちがころっと騙されて声を上げたのが今回の騒動ではなかったか。

《政治の議論は、互いの違いを認め合う次元であれば、「そんな意見もあるよね。」で済むが、根本的には、私たちが生きるこの社会の「あるべき姿」に関わっており、それ故に、選挙でどの政党に投票するか、といった現実的な選択になると、分断と対立が引き起こされがちである》(同)

 平野氏は、何のために国会というものがあり、何のために議論するのか分かっていないのだろう。対立する意見を1つ上の次元へと引き揚げ対立を解消することを目途(もくと)とし意見を競い合う、それが国会のあるべき姿なのではなかろうか。

 確かに、最近の国会は端(はな)から「議論」する気がない人たちが目に付き、うんざりしてしまうのであるが、戦前の斎藤隆夫「粛軍演説」に見られるように、「千万人と雖(いえど)も我行かん」の精神で、たとえ孤軍奮闘となろうとも、「正論をぶつ」ことこそが必要であり大切なのではないか。【続】