保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「GO TO・桜・学術会議」(2) ~「桜を見る会」編~

《首相の国会答弁が虚偽だったら、審議の前提は崩れ、立法府の行政に対するチェックも働かなくなる。政治への信頼を揺るがす深刻な事態だというのに、菅首相には、その危機感も反省もみられない。

 きのうの衆参両院の予算委員会の集中審議で焦点となったのが、安倍前政権下の「桜を見る会」の前夜祭をめぐる問題だ。

 安倍前首相は一貫して費用の補填(ほてん)を強く否定してきたが、直近の5年間で、会費との差額計約916万円を負担していたことが明らかになった。政治資金規正法違反(不記載)などの疑いがもたれている》(11月26日付朝日新聞社説)

 安倍氏を論(あげつら)い続けることが生き甲斐であるかのような病的なまでの粘着質に正直うんざりしてしまう。

 が、これでは「オオカミ少年」のようにしかならないだろう。「オオカミが来た、オオカミが来た」と嘘をついて大人を揶揄(からか)ったために、本当にオオカミが現れた時には大人たちは信用せず、誰も助けに来なかったということになりかねない。

《「桜を見る会」前日の夕食会を巡る安倍晋三前首相の国会答弁は虚偽だった可能性が出てきた。森友問題でも事実と異なる政府答弁が139回もあった。安倍氏は進んで国会で真実を語るべきだ。

 激しい憤りを禁じ得ない。国会はいつから「虚偽答弁」がこれほどまかり通るような場に堕落したのか。三権分立や議会制民主主義を脅かす重大事である。にもかかわらず、政府や与党の危機感があまりにも乏しい》(11月26日付東京新聞社説)

 瑣末(さまつ)なことをさぞ「重大」なことのように言い続けてきた自分たちの方が問題ではないのか。三権分立や議会制民主主義が機能するためにも情報提供者としてのマスコミの存在意義は大きい。が、「針小棒大の新聞の報道」(中江兆民『兆民文集』(日高有倫堂)、p. 481)が常態化してしまっては、情報の信憑性が失われてしまいかねない。

 報告書に記載漏れや誤りがあれば修正すればよい。公職選挙法違反の疑いがあるのなら検察が調べればよい。それ以上でもそれ以下でもない。マスコミにはもっと他に報道すべきことがあるだろうし、国会もはるかに優先順位の高い課題が山積している。

 外交安全保障、憲法改正、皇室問題、コロナ禍における経済対策等々。こういった問題をほっぽり出して、私怨(しえん)を晴らさんと安倍氏にだけ気を奪われている場合ではないのである。【続】