保守論客の独り言

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「表現の不自由展」再開について(1) ~「昭和天皇の御真影を燃やし、灰を踏み付ける映像」の存在を隠し「表現の自由」を訴える卑劣~

《国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が66日ぶりに再開した。

 物議を醸す展示内容にテロまがいの脅しや激しい抗議が殺到し、開幕からわずか3日で中止に追い込まれる異例の事態となっていた。

 観客や関係者の安全を考慮して、やむを得ず取った措置だった。このままだと、脅すことで気に入らない催しを中止させることができるというあしき前例を残しかねなかった。

 暴力に屈しないという姿勢を示した点は評価できる》(10月11日付毎日新聞社説)

 「昭和天皇御真影を燃やし、灰を踏み付ける映像」、「『間抜けな日本人の墓』と題する特攻隊の寄せ書きを被せた祠(ほこら)」といった「作品」は「表現の自由」という権利の濫用に当たらないのか、こういった公序良俗に反する「作品」を公的機関が後押しして展示させることは問題ではないのか、という問題は無視し、ただ<暴力に屈しないという姿勢を示した点は評価できる>などと言うのは、あまりにも恣意(しい)的に過ぎるのではないだろうか。

《今回の企画展で抗議の対象になったのは、元従軍慰安婦を象徴する少女像や、昭和天皇の肖像を素材とした作品だ。政治性の高い作品を公共の空間でどう見せるか。これを機に議論を深めたい》(同)

 どうして<昭和天皇の肖像を素材とした作品>などと問題点をぼかすような書き方をするのか。おそらく「昭和天皇御真影を燃やし、灰を踏み付ける映像」作品などと書けば、本当の問題点が国民に知られてしまうから、それを嫌ってのことだろうと思われるのだけれども、こんなやり方で、天皇や特攻隊を貶(おとし)めようとするのはまさに卑怯千万である。

 また、<元従軍慰安婦>などというのもいただけない。<従軍慰安婦>など存在しなかった。存在したのは「公娼」である。どうしてこういう嘘を書いて日本を貶めたいのか。

《鑑賞はツアー形式で、入場者は抽選となった。初日の鑑賞者枠は60人だけだった。2日目以降、定員は増えたが、撮影写真のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)への投稿禁止を約束する同意書の提出も求められた。

 企画展は、不特定多数の人に直接作品を見て、自由に感じてもらうのが本旨だったはずだ。

 場内の混乱やネット上の「炎上」を懸念しての措置だろうが、厳しい制限は自然ではない。方法は今後、検証する必要があるだろう》(同)

 「自由」を訴える人たちが「自由」を制限する。まさに「二重基準」(double standard)である。【続】