保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

検察庁法改正見送りについて(1)  ~議会制民主主義の破壊~

《内閣の裁量で検事総長や高検検事長らの定年延長を可能とする特例を盛り込んだ検察庁法改正案は今国会での成立が見送られた》(5月19日付毎日新聞社説)

 これをもって朝日新聞の鮫島浩氏は次のようにツイートした。 

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 7年以上に亙って安倍政権の横暴を許してきた日本社会は間違っていると鮫島氏の目には映っているのであろう。鮫島氏は自分の目が狂っているかもしれないとは露(つゆ)ぞ思わない。これでは客観的に物事を判断することなど不可能である。

 マスコミ人が脱マスコミを称賛し、マスコミに依存せぬ民主主義を謳う。まさに自殺行為であり「狂っている」。

《「三権分立に反する」などと反対する大きな世論の高まりが押しのけたといえる》(5月19日付東京新聞社説)

 だとすれば、とんでもないことである。一体検察庁は三権のどこに属しているというのであろうか。検察庁は行政に属するのであるから、政府の意向を汲むのは当然のことである。「三権分立に反する」と言っている人達は、検察庁は司法に属していると誤解しているのではないか。

 否、少し調べれば検察庁が行政に属していることぐらいすぐに見付かるはずである。にもかかわらず、「三権分立に反する」と言い続けるとすれば、少しも調べようともせず、ただ思い込みだけで吠えている野蛮人か、三権分立がどういうものかを理解できていないのに自分の周りに調子を合わせて口角泡を飛ばす馬鹿かのどちらかであろう。

《国民の危機感も、会員制交流サイト(SNS)のツイッターで抗議の投稿が大量に拡散されたことで明らかだった。とくに俳優やミュージシャン、作家ら著名人も反対の声を上げ、うねりとなって表れていた》(同)

 一体それはどういう<危機感>なのか。それは反安倍連のただの「妄想」なのではないか。勿論、政府が恣意的に検察庁人事に介入する余地を与えることの是非を問うことはあってもよい。が、それは果たして「危機」と呼ぶようなものなのか。

 「危険」があるとして注意を喚起するというのなら分からなくもない。が、「危機」だと世間を煽るのは、むしろ社会の秩序を掻き乱す「騒擾」(そうじょう)である。

《少なくとも「反対」という市民らの声の高まりが与党の強行策を封じ込めたことは確かである》(同)

 知識もなければ、情報もない。発言に対する責任もない。このような匿名の「市民」と称する声の大きな人達の意見が即、政治の方向を変えてしまうとすれば、それは議会制民主主義の否定なのではないか。【続】