保守論客の独り言

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ジョン・ロック「法が終わるところ、暴政が始まる」(3) ~自省なきマスコミ~

《本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。

 時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」(加藤節訳、岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である》(「東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書」:朝日新聞デジタル2020年5月15日16時14分)

 一法解釈の変更をもって、「朕は国家である」というルイ14世の言葉を彷彿させるだの、三権分立主義の否定につながるだの、大袈裟なことを言って批判するのは左翼の常套である。

 問題は、内閣による法解釈の変更が許容範囲を超えるかどうかにあるのであって、法解釈の変更自体が否定されるものではない。法改正は国会の案件であるが、法解釈は内閣に属するものである。

 内閣の法解釈の変更が許容範囲を超えるというのであれば、司法が「違憲審査権」を用いて意義を申し立てるのが筋である。それこそが三権分立というべきではないか。

 半藤一利氏は裁判で意見書を書いた。

<戦前の国家ナショナリズムを擁護する歴史修正主義的な言葉、言論が広まり(中略)ますます憂うべき状況です>

<戦争は、ある日突然に天から降ってくるものではなく、長い長いわれわれの「知らん顔」の道程の果てに起こるものなのです>(同)

 むしろ私が憂うのは、戦後日本を覆う、半藤氏のような反日的視点で歴史を弄(もてあそ)ぶ人達の言葉、言論の広まりの方である。

 戦争は、<長い長いわれわれの「知らん顔」の道程の果てに>誘引されるものであって、日本は既に「情報戦」「歴史戦」において押し込まれてしまっている。

《いまいちど、「法が終わるところ」のロックの言葉をかみしめてはいかがか。憲法判断に「知らん顔」をしている裁判官たちよ》(同)

と東京社説子は言う。が、自分たちの説得力のなさをただ<憲法判断に「知らん顔」をしている裁判官>の所為(せい)にし、批判しても仕方がない。自らを省みることが出来ないマスコミに未来はないのである。【了】