保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

ジョン・ロック「法が終わるところ、暴政が始まる」(1) ~「法」とは何か~

《17世紀イギリスの哲学者が説いた思想は後のアメリカ独立宣言やフランス人権宣言に強い影響を与えたといいます。現在の基本的人権の尊重にもつながるジョン・ロックの『統治二論』です▼王権は神から授かったという説を批判し、国民主権三権分立を唱えました。その著書の一節が時の権力者に突きつけられました。「法が終わるところ、暴政が始まる」》(しんぶん赤旗「きょうの潮流」:2020年5月18日(月))

Sect. 202. Where-ever law ends, tyranny begins, if the law be transgressed to another's harm –John Locke, Second Treatise of Government

(202 法が侵犯されて他人に害が及ぶ場合には、どこにおいても、法が終わるところ、暴政が始まる)ー ジョン・ロック『完訳 統治二論』(岩波文庫)加藤節訳

 ロックが言っているのは、「法の支配」(rule of law)の必要である。ここで確認しておくべきは、「法の支配」における「法」とは何かということである。

《近代立憲主義憲法は,法の支配の思想を一部取り入れて,リヴァイアサンともなりがちな統治を規律しようとするのである。もっとも,法の支配にいう「法」は,文書化されるルールを超えている。法の支配を理解するには,「法」という言葉を通して描くよりも,「正義」なかでも「形式的正義」のイメージを通して描くほうがいいだろう。われわれが「正義」を語り尽くせないのと同じように,法の支配にいう「法」を法文書化することはできないのだ。ということは,憲法典という法文書が法の支配を完全に実現することはない,ということになる。法の支配という考え方は,崇高な理念であって,憲法とそのもとでの統治は,その理念に最も接近するよう求められるのである》(阪本昌成『憲法1 国制クラシック』(有信堂)[第2版]:[81])

《元検事総長ら検察OBが法務省に出した検察庁法の改定案に反対する意見書です▼「検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺(そ)ぐことを意図している」。この法案の問題点を指摘し、すべての声を結集して阻止することを呼びかけています▼政府の強権的なやり方に現職の裁判官も「まともな法治国家とはいえない」と、メディアで異例の批判。検事としてロッキード事件を担当した堀田力さんも、森友や加計のような事件があったときに検察は動かないようにする、それしかないと▼いま「桜を見る会」をめぐり、全国の弁護士や法学者が公選法違反などの疑いで安倍首相らの告発状を東京地検に提出しようとしています。こうした疑獄を裁くことは国民にたいする司法の責務です》(同、しんぶん赤旗

 おそらく「法の支配」と「法治主義」との混同があるのだろう。ロックの一節を根拠に「法治主義」を説くのでは辻褄が合わない。【続】