保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

黒川検事長の辞職について(2) ~<法の支配>とナチス~

<法の支配>にとって何とも都合悪いのが「ナチスドイツ」の存在である。このことを糊塗(こと)しようとするから何を言っているのか分からなくなる。

《「法の支配」の原理に類似するものに、戦前のドイツの「法治主義」ないしは「法治国家」の観念がある。この観念は、法によって権力を制限しょうとする点においては「法の支配」の原理と同じ意図を有するが、少なくとも、次の2点において両者は著しく異なる。

(1)民主的な立法過程との関係  第一に、「法の支配」は、立憲主義の進展とともに、市民階級が立法過程へ参加することによって自らの権利・自由の防衛を図ること、したがって権利・自由を制約する法律の内容は国民自身が決定すること、を建前とする原理であることが明確になり、その点で民主主義と結合するものと考えられたことである。これに対して、戦前のドイツの法治国家(Rechtsstaat)の観念は、そのような民主的な政治制度と結びついて構成されたものではない。もっぱら、国家作用が行われる形式または手続を示すものにすぎない。したがって、それは、いかなる政治体制とも結合しうる形式的な観念であった。

(2)「法」の意味  第二に、「法の支配」に言う「法」は、内容が合理的でなければならないという実質的要件を含む観念であり、ひいては人権の観念とも固く結びつくものであったことである。これに対して、「法治国家」に言う「法」は、内容とは関係のない(その中に何でも入れることができる容器のような)形式的な法律にすぎなかった。そこでは、議会の制定する法律の中身の合理性は問題とされなかったのである》(芦部信喜憲法 第4版』(岩波書店高橋和之補訂、pp. 14-15)

 ナチスドイツを排除しようとこのような理屈をこねるのであるが、私には屁理屈にしか思えない。戦後日本はナチスドイツが民主主義でなかったかのように言うが、ナチスドイツは民衆の熱狂的支持によって生まれたものであり、いわば「民主主義の鬼子」だっただけである。同様に「法の支配の鬼子」だったと考える方が余程すっきりする。

(注)鬼子(おにご):親に似ない子

 まして、

《もっとも、戦後のドイツでは、ナチズムの苦い経験とその反省に基づいて、法律の内容の正当性を要求し、不当な内容の法律を憲法に照らして排除するという違憲審査制が採用されるに至った。その意味で、現在のドイツは、戦前の形式的法治国家から実質的法治国家へと移行しており、法治主義英米法に言う「法の支配」の原理とほぼ同じ意味をもつようになっている》(同、p. 15)

と言うのなら尚更(なおさら)である。【続】