保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

デモと民主主義 ~「民主主義の赤字」~

《世界各地で抗議デモの嵐が吹き荒れている。人々が現状に不満を募らせ、変化を求めている証しだろう…世界の多くの国々で市民の不満がかつてなく高まっている。共通しているのは、政治不信と将来不安である。極めて憂慮すべき事態だ》(1月16日付毎日新聞社説)

 どこまで客観的な情報なのかが分からないのでやや割り引いて聞かなければならないだろうけれども、どうも世界各地の政治がうまく機能していないということらしい。それは何に起因するのだろうか。

 その原因は「民主主義」という「熱病」にあるのではないか、というのが私の見立てである。言わずもがなであるが、「民主主義」は万能ではない。「民主主義」の追求こそが万民に自由、平等、博愛をもたらすなどというのは淡い幻想でしかない。

 にもかかわらず、「民主主義」を絶対視する人が後を絶たない。だから、何か問題があれば、「民主主義」に問題があるとは考えず、必ずと言って社会や政治の側に問題を押し付ける。

《「民主主義の赤字」という言葉がある。もともとは、欧州連合(EU)の政策に加盟国の民意が反映されていないことを批判した表現だ。

 いま、欧州だけでなく、世界各国において「民主主義の赤字」に対する異議申し立てがデモの形で火を噴いていると言えるだろう》(同)

 果たしてEUはどれほど民主的な組織と言えるのだろうか。

《欧州統合の過程で、加盟各国は立法権の一部を自国の議会からEUに委譲したが、EU市民の代表機関である欧州議会立法権限は限定されており、各国の官僚や閣僚によって構成される欧州委員会や閣僚理事会が政策決定を主導しているため、議会による民主的統制の欠損(赤字)が指摘されている》(デジタル大辞泉

 EUは、理念先行型の、木に竹を接いだ組織でしかなかったということである。

 EUは「世界市民主義」(コスモポリタニズム)の亜流である。かつてのソ連と同様に、国家を超えた平等主義が反民主主義に陥ってしまうのはなんとも皮肉なことである。

《民意は一枚岩ではない。うつろいやすく、時に対立を生む》(同、毎日社説)

 これは正確ではない。民意は時に一方向に雪崩れることもある。それはナチスドイツを思い起こせば十分であろう。

 民意は移ろい易い。これはその通りである。だからこそ政治は民意に振り回されないようにするために、民意から一定の距離を置くことが必要となるのである。

《人々の不満を後ろ盾にポピュリスト(大衆迎合主義者)や強権的な人物が権力を手にすれば、民主主義の価値観を揺るがす恐れがある》(同)

 民主主義の先輩たる欧米諸国に「ポピュリズム」が台頭し、日本がそれを免れているのはなぜか。

 欧米礼賛の考え方は危うい。