保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

日本国憲法生誕とルソーの教え(4) ~統治者と被治者の同一性~

ドイツ法哲学カール・シュミットは、民主主義における<同一性>に注目する。

《民主主義を定義するためのものとしては、一連の同一性が存在している。下されるすべての決定が、ただ決定する者自身にのみ対してだけ効力を持つべきだ、ということが民主主義の本質である。

 この場合、票決に敗れた少数者が無視されなければならないということは、単に理論上の表面的な困難であるにすぎない。現実においてはそのことは、民主主義的論理において常に繰返される同一性と…票決に敗れた少数者の意志は実は多数者の意志と同一である、という本質的に民主主義的論理に基礎づけられているのである》(シュッミット『現代議会主義の精神史的地位』(みすず書房)稲葉素之訳、pp. 35-36

 <票決に敗れた少数者の意志は実は多数者の意志と同一である>とはどういうことか。

《市民はすべでの法律、彼が反対したにもかかわらず通過した法律にさえ、またその一つに違反しても罰せられるような法律にさえ、同意しているのだ。国家のすべての構成員の不変の意志が、一般意志であり、この一般意志によってこそ、彼らは市民となり、自由になるのである。ある法が人民の集会に提出されるとき、人民に問われていることは、正確には、彼らが提案を可決するか、否決するかということではなくて、それが人民の意志、すなわち、一般意志に一致しているかいなか、ということである》(ルソー『社会契約論』(岩波文庫桑原武夫・前川貞次郎訳、p.149

 つまり、選挙によって<一般意志>が明らかとなり、市民はこれに<同意>するということである。

《統治者と被治者、支配者と被支配者の同一性、国家的権威の主体と客体との同一性、人民と議会におけるその代表との同一性、国家と投票する人民との同一性、国家と法との同一性、最後に量的なもの(数的に現われた多数あるいは全員一致)と質的なもの(法律の正当性)との同一性…かかる同一性はすべて、手に捉えることのできる現実ではなく、同一性に対する承認に基礎づけられている》(シュミット、同、p. 37

 統治者と被治者の同一化が「全体主義」を招来することは論を俟たないだろう。こうなれば、誰も国家の暴走を止められない。

《法律的にも政治的にも社会学的にも、現実に同等な何かが問題なのではなく、同一化が問題なのである。選挙権の拡張、任期の短縮、人民投票制の導入と拡大、約言すれば、直接民主主義の傾向あるいは制度とみなされるすべてのもの、およびすでに示したごとく、どこまでも同一性の思想によって支配されているところのものは、たしかに一貫して民主主義的ではあるが、しかしいかなる瞬間にも現在する現実における(in realitate praesente)絶対的、直接的な同一性を実現することは決してできない。現実の同等性と同一化の結果との間には、常に距離がある》(同)​【続】​