保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

歴代最長安倍政権について(3) ~取って代わる人が育っていないのが最大の問題だ~

《「米中新冷戦」の開始は、米ソ冷戦終結以来約30年ぶりの国際構造の激変だ。安倍首相はトランプ米大統領習近平中国国家主席の双方に笑顔をみせているが、危うい対応である。中国の脅威を見据え、自由と民主主義、「法の支配」、繁栄を守るべく、日本の舵(かじ)とりをしなければならない》(11月20日産經新聞主張)

 安倍首相のシナへの対応は危ういこと自体には異論はない。が、<自由と民主主義>、このような価値観を前面に出す産經新聞もまた戦後日本の左翼思想に絡めとられてしまっている。

 ポスト構造主義後を代表する哲学者、歴史家マルセル・ゴーシェは言う。

《19世紀の歴史を見ると、王権とたもとを分かって共和政を発展させたフランスや米国はむしろ例外です。多くの国では立憲君主制の中で民主主義が育まれた。その後、民主主義が優位に立つ中で、君主制は国家の歴史的連続性を体現する象徴的存在となり、中立的な第3権力の地位を占めるに至りました。

立憲君主制の下だと、選挙で選ばれた人物は政権を担えても、歴史的正統性を持つ存在にはなり得ません。つまり、市民の代表が絶対的権力を振るって暴走する恐れを、君主が抑え込んでいる。君主の存在は、当選者が相対的な権力しか持ち得ないことを人々に知らしめます》(朝日新聞GLOBE:「君主になれない私たち、そこに平等がある マルセル・ゴーシェに聞く『君主制の役割』」)

 「抑圧」の下で「自由」を求めるのなら分からなくはない。が、「自由」の下でさらなる「自由」を求めることにどれほどの意義があるのか。同様に、「独裁」の下で「民主主義」を求めるのではなく、「民主主義」下でさらなる「民主主義」を主張するのにどれほどの意味があるのか。

 求められるのは秩序のある「自由」であり「民主主義」である。そのためには、「自由」には「責任」が伴わなければならないし、「民主主義」は「君主制」のような民衆の暴走を抑える存在が必要だということである。

《首相が「政権の最優先、最重要課題」と繰り返してきた拉致問題と、「政権の一丁目一番地」であるはずの憲法改正は一向に進展がない。「国家の基本に関わる極めて重要な問題」と語ってきた皇位の安定継承策のとりまとめも、まだである》(同、産經主張)

 課題は見えている。が、進展は見えない。それどころか、課題への真剣な取り組みがあるとも思えない。課題の突破には気概が必要だがそれが見られない。

 問題は、安倍政権にその気概が見られないだけではなく、気概を持ち合わせた他の政治家が見当たらないことである。

 「良い人」がいないと嘆くのは大衆の常ではあるが、本当にいなくなっては洒落(しゃれ)にならない。【了】