保守論客の独り言

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参院選:過半数の棄権について(3) ~民主主義信奉者の杞憂~

参院選投票率が全国規模の国政選挙では24年ぶりに50%を割り込んだ。有権者過半数が国政に背を向けた形である。なぜこんなにも投票に行かないのか。その理由をきちんと分析し、投票しやすい環境づくりを急ぐべきだ》(722日付日本経済新聞社説)

 こんな呆(ぼ)けたこと言ってもらっては困る。これまでの選挙と違って今回は投票が困難だったというのならいざ知らず、今回の低投票率を環境のせいにするのは筋違いも良い所である。

 今回の低投票率は政治の不活性が原因である。争点がなく、投票しようがしまいが何も変わらないというのであれば有権者がそっぽを向くのも無理はない。

投票権年齢が引き下げられた2016年の参院選18歳の投票率51.28%だった。ところが、翌17年の衆院選19歳の投票率33.25%にとどまった》(同)

 別段政治に興味のない若者に無理矢理投票権を与えても投票しようと思うはずがない。18歳の時は、高校で主権者教育を受け、選挙の重要性をこんこんと聞かされたから、半ば興味半分で投票したのだろうけれども、昨今の日本の淀んだ政治状況を見れば、政治に興味が湧くわけがない。

 政治の思惑で投票年齢が18歳に引き下げられ、それに伴って成人年齢18歳に引き下げられるわけだが、果たしてこれで良かったのか本来なら検証が必要だと思われるのであるが、国会もマスコミも都合の悪いことには知らんぷりを決め込んでいるように思われる。

《国政選挙もこのまま投票率が下がり続けると、何が民意なのかが読み取れなくなる。ときの政権の正統性をも揺るがしかねない》(同)

 棄権もまた一つの民意である。政治の側が変化変革を求めていないのに、どう投票せよと言うのか。今回の選挙結果によっては、例えば、憲法が大きく変わりますとでもいうのなら、変えるのか変えないのかの選択が重要となるけれども、憲法のみならず何も変わらない、右へ転ぼうが左へ転ぼうが何も変わらないのであれば、投票する意味がない。

有権者の政治参加が細っていくのを、このまま見過ごすわけにはいかない。政党や政治家が民意とかけ離れた存在になれば、民主主義そのものが危うい淵に立つ》(724日付朝日新聞社説)

 別に我々は<民主主義>のために生きているわけではない。<政党や政治家が民意とかけ離れた存在>になることは避けるべきであろうが、接点は選挙だけにあるわけではない。現代の政治は各種世論調査の動向を無視するわけにはいかない。その意味で民意は大いに政治運営に反映されているとみて間違いない。

 <民主主義>が危ういなどというのは、それが自分たちの思い描く<民主主義>でなくなることへの「民主主義信奉者」の杞憂(きゆう)に過ぎない。【了】