保守論客の独り言

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参院選:過半数の棄権について(2) ~与党も野党も変革を望まない閉塞感~

《深刻なのは安倍晋三首相が自民党総裁に返り咲いて以降、今回も含めて計6回の衆院選参院選投票率はいずれも60%に達せず、低投票率がもはや常態化していることだ》(7月23日付毎日新聞社説)

 これは、与野党ともに政治家が変革よりも安定を求めてしまっているためであろうと思われる。「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」(大野伴睦)とばかりに選挙に通ることを最優先してしまっている結果が低投票率となって表れているのではないか。政治家が変革を望んでいないのに選挙が盛り上がるわけがないのである。

 本来なら3分の1の勢力に押し込められている野党が攻め込まねばならないのであるが、政権交代によって学んだことは、下手に現実政治に与(くみ)しようとすれば、これまでの支持層が揺さぶられ、安定的に当選することが難しくなるということであった。だから同じことを言い続けることになってしまっているのである。

有権者の半数程度しか投票しない中で国民の代表が決まり、政治を動かしていく。議会制民主主義の土台が崩れ始めていると言っていい。

 国民の興味や関心をそいでいる責任はもちろん、与野党双方にある》(同)

 日本の政治を変革する必要がなく、議員を入れ替える必要もないのであれば、低投票率となっても仕方がない。が、果たしてそうか。

 例えば、米国が嵌(は)めた日本国憲法という箍(たが)をいつどのように外すのかという大問題は一朝一夕には行かないがゆえに、漸進(ぜんしん)的かつ着実に歩を進める必要がある。

 トランプ米大統領発言の端々から日本がいつ何時(なんどき)梯子(はしご)を外されかねないことがうかがい知れるのであるから、日本は米国に依存することなく「自立」することが求められている。が、安倍政権は緩んだ戦後日本の箍を締め直し、むしろ従属を堅固(けんご)にする憲法改正案を提出している。

 投票率の高低が民主主義の成否を決めるものではないし、何より民主主義にだけ拘(こだわ)っても意味がない。否、政治家が当選することを第一に、有権者に媚びへつらうのが政治の不活性を生んでいるのだとすれば、民主主義はむしろ政治にとって負の要因と言えなくもない。

《「安倍1強」体制の下、自民党内にはかつてのような活発な議論はほとんどない。「ポスト安倍」の顔もなかなか見えない。対する野党は旧民主党政権の失敗が今も尾を引き、国会でも力不足が続く。そんな中で毎年のように国政選挙が行われる。

 多くの有権者は「投票しても政治は変わらない」と最初からあきらめているのかもしれないし、選挙そのものに飽きているのかもしれない》(同) 【続】