《第25回参院選の投票率(選挙区)は前回2016年より90ポイント低い48・80%と、50%を割り込んだ。これは過去最低だった1995年の44・52%に次ぐ史上2番目に低い投票率である》(7月23日付西日本新聞社説)
《さまざまな要因や事情が考えられるが、総じて言えば有権者の根強い政治不信の表れであろう。「過半数の棄権」とは、議会制民主主義の危機と言っても過言ではない》(同)
<政治不信>というよりも「不活性」というのが私の印象である。自分が1票を投じたところで何かが変わるわけではない。そういう諦めのようなものが有権者の間に広まっているのだと思われる。
さて、西日本社説子は投票率が50%を割り込んだことを<議会制民主主義の危機>ではないかと言う。<危機>という言葉が適切かどうかやや疑問があるが、日本の議会制民主主義が上手く機能していないという意味なのであろう。
《無論、低投票率を招いた最大の理由は選挙戦が全体として低調だったからだ》(同)
という見立てに異論はない。が、そんなことはこの間の国会の低調さを見れば予見されたことである。
何度も言っていることであるが、森友・加計学園問題で難癖を付けることに終始した野党やマスコミに私は何の期待もしない。問題なのは3分の2を占める与党側である。
3分の2の政治家が同じ考えということは全体主義でなければ有り得ない。にもかかわらず、異なった意見が出て来ないことが問題なのである。
問題の根は選挙制度にある。詳しくは稿を改めたいが、少なくとも衆院の小選挙区比例代表制はかつてのような中選挙区制に戻すことが必須だと思っている。そうすれば、同じ党であっても違った公約を掲げて選挙を戦うことが可能となる。
小選挙区制のように候補者個人の意見ではなく、党の意見が問われるような選挙制度では骨のある政治家は育たない。
《今回は安倍晋三首相(自民党総裁)が「憲法改正の論議をする政党か、論議すら拒否する政党か」を選ぶ選挙と位置付け、悲願の憲法改正に向けた論議を争点化しようとした。これに対し、野党各党は金融庁の審議会報告書に端を発する「老後資金2千万円問題」を突破口に年金問題や最低賃金など家計重視の政策を訴えたが、与野党の論戦は必ずしもかみ合わなかった》(同)
年金問題は与野党間で争うものではなく、与野党が協力して答えを出すものである。一方、憲法改正は機が熟している感はなく、今回の参院選の結果を受けてすぐにどうこうという話でないことは有権者に見透かされている。
つまり、与野党ともに新機軸はなく、ただ現状維持を基本とした怠(だる)い選挙戦となってしまったのは当然であった。【続】