保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

岐路に立つ民主主義(2) ~岐路に立つ左寄りマスコミ~

《経済学者の坂井豊貴氏は著書『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』で、米国の経済学者らが導き出した「64%多数決ルール」を採用すべきであると提言しています。理屈は難しいので省きますが、過半数ルールでは達成できない「多数意見の反映としての正当性」が、64%ルールなら理論的に確保されるといいます》(127日付東京新聞社説)

 51%よりはましなのかもしれないが、64%の無責任な素人の多数によって物事を決しても五十歩百歩であろう。大事なのは、責任を負える人間が責任ある判断をなすことである。英国のEU離脱の例で言えば、国民投票64%よりも国会の51%の方が重みがあるということである。

《平成の時代、日本は英国流の議会制度を目指しましたが、弊害も目立ちます。本家の英国議会も大荒れです。議会制民主主義は岐路に立つのでしょうか》(210日付東京新聞社説)

 当時からどうして英国の猿真似をしようとするのか私には分からなかった。

《大型疑獄事件が相次いだ昭和の時代から平成に入り、英国の議会制度をお手本に「政治改革」を進めてきた…例えば、政党間の政策競争を促して政権交代を可能にする衆院への小選挙区制導入や、国会を政治家同士の議論の場とするための政府委員制度の廃止、多くの与党議員が政府に入ることで政策決定を政治家主導とし、責任を明確化する副大臣政務官制度です。

 今ではあまり行われなくなった党首討論も当初、英国議会の「クエスチョンタイム」を範にした改革の目玉でした。政権公約達成の数値目標や時期、財源を明示した「マニフェスト」も同様です。

 しかし、こうした改革が、日本ではうまく機能しているとは言えないのが現状です》(同)

 この言い方はおかしい。日本でだけうまく機能していないのではなく、本家本元の英国ですらうまく機能していないのであるから、そもそも「党首討論」だの「マニフェスト」だのを日本に導入する必要があったのか甚だ疑問であり、東京新聞など導入賛成派は、この失敗をむしろ謝罪すべきであり、運用の仕方に問題があるかのように言うのはごまかしである。

《一連の改革で政策の決定権に加え、選挙での公認や政治資金の配分という政治生命を左右する権限が、首相を頂点とする政権中枢に過度に集まりました。その結果、「安倍一強」と呼ばれる権力集中が起きる一方、政権転落の危機感や政権復帰への焦りから対立勢力を敵とみなし、過剰攻撃する風潮が国会を支配しています。

 今、私たち有権者の眼前に広がるのは、改革の理想とはまったく異なる形骸化した国会、荒涼とした言論空間です》(同)

 変革が想定外の事を伴うのは必然であり、想定が甘く自分たちの思い通りにならなかったからと言って管を巻くのはあまりにもみっともない。

 左寄りの人達が嫌う「安倍一強」を生み出したのは、むしろ自分たちが推進した政治改革であったことをまずは反省すべきである。話はそれからである。【了】