保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

各紙元旦社説批評(1) ~寒々とした各紙元旦社説~

新聞各紙の元旦社説を読んでこれほど虚しく感じたことはなかった。中身がない。論ずべきものを持たないマスコミ。まさにマスコミの為体(ていたらく)がここに表れている、私はそのように感じた。

 読むに値しない、紙とインクの無駄遣いのような社説が散見される中で、朝日新聞は正しいかどうかは別にして一定の見識を示している。まず取り上げたのが、政権交代を目指して導入された「小選挙区制」についてである。

小選挙区制の導入は端的に失敗だったのだろうか。

 政治とカネをめぐる醜聞の温床とされた中選挙区制の復活は論外としても、現行制度の見直し論は以前からある。

 比例代表中心の制度に変え、適度な多党制を常態にすれば、力任せの多数決主義は影を潜め、与野党の合意形成を重んじる熟議の民主主義になる――。こうした議論にも一理はある。

 だが、急ぎすぎてはならない。与野党有権者もまだ、今の制度を十分使いこなしているとはいえない現状を考えたい》(朝日新聞

 むしろ現在のような荒涼たる政治風景を生み出した元凶が「小選挙区制」だったのではないか。小選挙区制が導入されたことで、政党選択選挙となってしまい、人物判断は二の次、三の次になってしまった。政党が出す「巧言令色」の公約の是非を問うことにどれほどの意味があるのだろうか。

 朝日社説子は<中選挙区制の復活は論外>と言うが、果たしてそうだろうか。<政治とカネ>の問題にしても、小沢一郎氏、鳩山由紀夫氏の例をみても分かるように、選挙制度を変えればなくなるというような話ではない。そんな表層的なことよりももっと本質的には多量の「死票」が出てしまうという問題がある。しばしば少数意見を尊重するように主張する朝日が死票の多い小選挙区制を支持するのは矛盾である。また、小選挙区制は首相に権力が集中しがちである。朝日が安倍一強を批判するのであればこれもまた矛盾でしかない。

 次に社説子は憲法問題を取り上げる。

第53条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

《内閣が開きたくなくても、国会の意思として開かせ、権力分立の実を上げる仕組みだ。

 ところが、安倍政権は憲法に基づく野党の要求を重ねて無視してきた。違憲批判が起こるのは当然である。

 例えば要求が出てから20日なり、一定の期間内に召集させるルールを明文化すべきである》(同)

《「首相の専権」などと仰々しく語られる衆院の解散権にも、縛りをかけなければならない。

 安倍政権の不意打ち解散戦略は、改革の眼目の一つだったマニフェスト選挙を台無しにした。大義も争点も不明なまま、有権者は投票を強いられた》(同)

 憲法53条も衆院解散権もしっかり議論すればよい。森友、加計問題追及と比べてはるかに生産的な議論が期待できる。

 一方、社説子がいまだに<マニフェスト選挙>に期待しているかのような書きぶりであることに私は少々驚いた。そもそも<マニフェスト選挙>を台無しにしたのは政権交代時の民主党政権ではなかったのか。

 交代前は大言壮語を吐きながら、交代後はことごとくこれを裏切った。要は、非現実的空想を述べていただけということであったのだが、それを今更安倍政権になすりつけるのはお門違いも甚だしい。【続】