保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

各紙元旦社説批評(2) ~酷過ぎる読売社説~

《世界1位と2位の経済大国の対立は、安全保障や通商、ハイテクなど多岐にわたり、相当長い間続くと覚悟すべきである。

米国とソ連による冷戦の終結宣言から30年、「新たな冷戦」に怯え、身をすくめていても意味はない。米国の同盟国であり、中国と深い関係にある日本こそが、地域の安定と繁栄を維持する責務を、粘り強く果たさねばならない》(読売新聞)

 今の日本に米中の間に割って入って北東アジアの安定と繁栄を維持する気概も力量もあるはずがないではないか。元日早々こんな妄想に耽ってもらっては困る。

《多国間協調を支える自由貿易の網を広げることは急務である。米国との貿易協議に取り組みつつ、米国が離脱した環太平洋経済連携協定(TPP)の拡大や、中国やインドなどアジア各国との自由貿易圏づくりを進めたい》(同)

 中国との自由貿易圏などという話も、まったく現実政治が分かっていないからこのようなことが言えるのである。一帯一路構想に見られるように中国は覇権主義を明確に打ち出してきているのであって自由貿易など眼中にはないことは明白である。にもかかわらず、このようなことを書くのは読売も中国に絡めとられてしまっているのではないかと疑われる。

《1978年に改革・開放政策を掲げた中国は、自由で開かれた国になると期待された。だが、89年の天安門事件では民主化運動を弾圧し、厳しい国際制裁を科された。中国は、日米欧とは異なる富強の大国の方向にカジを切った》(同)

などということからも読売新聞には「親中」の臭いがプンプンする。

《中国の強権的な拡張路線は、曲がり角に来ている。このままでは行き詰まることを、日本は習氏ら指導部に指摘すべきだ》(同)

 こんな中高生レベルの提言を中国が受け入れるはずがない。身の程知らずというか脳足りんというか…

《中国と日米欧は、相互に深く依存し、人、モノ、カネが活発に行き交う。東西両陣営に分かれていた冷戦期と異なる。中国を封じ込めることはできず、中国も世界への配慮なしには立ちゆかない。

 中国に、国際的ルールの順守と、日米欧との真の共存共栄を受け入れさせることが目標である》(同)

 <中国を封じ込めることはできず>などと訳知り顔で言われるのは迷惑である。なるほど中国のすべてを封じ込めることなど不可能であるにしても、中国の横暴を止めることは出来る出来ないにかかわらずやらなければならないことである。

 中国の独裁政治が世界に拡散することだけは避けなければならない。<中国に、国際的ルールの順守と、日米欧との真の共存共栄を受け入れさせる>という話も世間知らずのお坊ちゃんの科白(せりふ)でしかない。

《長い不況に苦しみ、財政に依存し過ぎた結果、国と地方の長期債務残高は1100兆円を超えた。日本銀行の金融緩和も長引き、低金利で銀行が苦境に追い込まれる負の側面が目立っている。

 デフレから完全に脱却し、安定的な成長を目指す。同時に、財政再建に道筋をつけ、金融緩和の弊害除去を進める。政府と日銀、経済界が連携し、緻密な戦略を立てれば不可能なことではない》(同)

 「言うのはただ」で大新聞の社説がこのような無責任なことを言うのは甚だ迷惑である。<不可能なことではない>のは社説子の頭の中だけの話である。世間ではそれを「妄想」と呼ぶ。

《景気の持続的押し上げに欠かせない個人消費は低迷から脱していない。将来不安に備え、財布のヒモが固くなっているからだ》(同)

 これも的外れの指摘であり、問題は好景気と言われながらも一般庶民の懐事情が温まっていないのが消費が伸びない最大の原因であろう。消費を拡大するためには、一般労働者の所得が増えなければならない。が、例えば、出入国管理法改正はこれとは逆行する話である。

《長寿化で給付の受け手が増え、支え手が減った以上、負担と給付のバランスを取り戻すべきだ。痛みは伴うが、将来世代へのツケを軽くできる》(同)

 <ツケを軽くできる>という言い方も鼻に付く。心が籠っておらず他人事のような言い方である。これからの少子高齢化の日本にとってあるべき社会保障とはいかなるものかをもっと真剣に議論することが何よりもまず必要なのである。ただ負担を増やし給付を減らせばよいという話で済ませるべきではない。【続】