《いわゆる中国脅威論。乱暴な振る舞いも多い新興大国ゆえ、恐れは分かるのですが、脅威はむしろ「あっち」でなく「こっち」の内部にある気もして…》(11月24日付東京新聞社説)
どうも脅威は中国全体主義ではなく安倍政権にあると言いたいようであるが、私には「反安倍症候群」に罹患(りかん)しているとしか思えない。
《経済的成功が民主化を導くとみる楽観論もありました。例えば世界貿易機関(WTO)加盟が確実になった時の本紙社説も「国際ルールに基づいた透明な市場競争」などによって「政治の民主化も期待できる」と…。
しかし、実際は全くそうはならなかった》(同)
<楽観>というか、見る眼がないということである。が、「見る眼がない」のを反省することもなくいい加減なことを言う。
《一つは「西側」に責任がありましょう。経済発展の援助をカードに、民主化を促す策を放棄した節がある》(同)
全体主義をまず問題にするのが筋である。その上で自由主義側の対応の拙(まず)さを問題にするのならいざしらず、先に自由主義側の対応にけちを付けるのは平衡を欠いた自己正当化である。
《「世界の工場」をせっせと利用して低コストの恩恵をむさぼり、「世界の市場」の購買力に耽溺(たんでき)するうち、人権状況などを批判する口数は減り、民主化を迫る声が小さくなっていった感は否めません。
結果、独裁的体制と強大な経済力が併存する大国が出現した》(同)
では、日頃人権をうるさく言う東京新聞は中国の人権問題をどう論じてきたのか。中国に対して強く抗議したということは寡聞にして知らない。天安門事件も、チベットも新疆ウイグルも、そして香港も。東京新聞が中国に強く抗議し、何もしない日本政府を叱咤(しった)したなどと言う話は聞いたことがない。
《米大統領は人種や宗教による差別的言動を繰り返し、批判は「フェイク」呼ばわりしてメディアを攻撃する。自国主義に耽(ふけ)り、経済力と軍事力を誇示して多国間の協調やルールを傷つけています。
わが国の宰相も民主主義の基盤たる国会での議論を軽んじ、異論を敵視する傾向が明らかですし、一方で、与党政治家の街頭演説をやじっただけで警察に排除されるといったことも起きています。また、欧州で台頭するポピュリズム・極右勢力には排他主義の主張が目立ち…。
どうでしょう。総じて「西側」の中で、市民的自由や多様性や寛容などの価値観減衰、民主主義の退潮が見て取れないでしょうか》(同)
民主主義が退潮したように感じられるのをトランプ米大統領や安倍晋三首相の所為(せい)にするのはこじ付けも良い所である。米国の大統領も日本の首相も民主的手続きを経て選ばれている。つまり、問題があるとすれば、それは民主主義自体の問題だということである。
《「西側」は中国を変えようとして変えられなかったばかりか、中国を利用し依存し続けるうち“中国的”に変質させられ始めている》(同)
それはそうかもしれないが、私には東京社説子の立ち位置が分からない。中国を非民主主義的として非難するのなら分かるが、それは棚上げにしてどうして<西側>にばかり難癖を付けるのか。
《今、最も鮮明に、言論の自由、法の支配など民主主義を守るべく必死で「中国化」に抗(あらが)っているのが、他ならぬ中国の内部、香港の若者たちであるというのは皮肉といえば皮肉です。彼らを孤立させるわけにはいきません》(同)
そう思うのなら、たとえ中国での取材は出来なくなろうとも、中国に聞こえるように中国の人権弾圧を非難して欲しいものである。