保守論客の独り言

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首相候補が見当たらない悲劇(2) ~中選挙区制に戻すべきだ~

一番の問題は「小選挙区制」である。小選挙区制は当選者が1人なので必然、政党を選ぶ選挙となる。逆に言えば、人を選ぶ選挙とならない。そのため選挙を通じて人は育たない。

 選挙を通じて人を育てるためには、かつてのような「中選挙区制」に戻すことが望まれる。中選挙区制であれば、1つの政党から複数の候補者を同一選挙区に立てることが出来る。そうなれば、党の公約だけでは差が付かないので、同じ政党であってもどのような違いがあるのかを打ち出さねばならない。そこに「競争」が生じる。この競い合いが政治家を切磋し琢磨するのだと思う。

 同じ自民党であっても、政治家個人の思想信条は同じではない。例えば、自主憲法制定を目指す「信念」が有るや無しや、女系天皇なる反伝統的邪説を認めぬ「見識」が有るや無しや、夫婦別姓を撥ね退け日本の文化を守らんとする「平衡感覚」が有るや無しや、といったことで意見は割れる。にもかかわらず、小選挙区制では政党を選ぶ形となり、候補者の具体的政治理念が問われない。

 このため各政治家の思想信条が有権者に知られない。だから河野太郎氏のような左翼が大臣となり、二階俊博氏のような親中議員が党幹事長となることが出来るのである。

 二番目の問題は、小選挙区制によって「派閥争い」が鳴りを潜めてしまったことである。小選挙区制では、党の方針に楯突かないことが大切となる。そのため自由が抑圧され全体主義的空気に支配されやすい。

 これに対し、中選挙区制で選ばれた議員の思想信条は、有権者の信認を得ているから「尊重」され、党が画一化されるのを防げる。同時に、党の中にあって様々な考え方を束ねる「派閥」が形成されることになるだろう。そしてこの派閥が政治家を集団の指導者に育成する「場」となるに違いない。

 与党内の派閥の力関係によって「政権交代」が起こる。本来は政党間で政権交代がなされるのだけれども、非現実的空想に耽(ふけ)る野党にはその可能性がない。であるなら、せめて与党内の「政権交代」によって政治権力の風通しをよくすることが望まれるわけである。

 政治家本人を直接知ることもなく、ただマスコミによって操作された情報を元に世論調査という「人気投票」を行って、次の首相を予想しても意味がないというか、誤解を生じるという意味でその情報は有害ですらあるだろう。

 人当たりの良さや見場の良さだけで宰相を選べるはずもない。日頃の仕事ぶりを直に見聞きしている同僚議員に聞くのならともかく、上っ面の情報しか持ち合わせていない国民に「次の首相にふさわしい政治家」を安易に尋ねることなどやめるべきだ。【続】