保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

政権交代なき党首討論は不要だ

党首討論は、英国を真似、政権交代可能な二大政党制を目指して行われるものだったはずである。

党首討論は、英国議会の「クエスチョン・タイム」をモデルに99年に導入された。一方的に与党が質問を受けるのでなく、与野党の代表が問題意識をぶつけ合う場として期待された。

 導入当初は年8回も行われたが、安倍晋三前首相時代からは年1、2回程度に減少。実施されない年もあった。野党側も、時間が短く、首相側からの質問も可能な党首討論よりも、長時間追及できる予算委員会などを重視する傾向にある。党首討論の存在意義も問われている》(6月11日付山陽新聞社説)

 今の日本のように、与党が3分の2の議席を占め、政権交代など起こりようもなく、緊張感を欠いた状態で党首討論を行うことに一体どのような意味があるというのだろうか。

立憲民主党枝野幸男代表はまず、前回の緊急事態宣言の解除が早すぎたことが、現在の第4波につながったとして、今回は東京で1日あたりの新規感染者が50人程度になるまで続けるべきだと主張。首相に対し、基準を明らかにするよう求めた。

 しかし首相は、ワクチン接種への取り組みを延々と説明しただけで、前回の解除判断への反省や今回の解除基準に触れることはなかった》(6月10日付朝日新聞社説)

 政府のコロナ対策における失政を衝()くことの出来ない野党第一党も憐(あわ)れなものである。<前回の緊急事態宣言の解除が早すぎたことが、現在の第4波につながった>。緊急事態宣言解除の遅い早いを問題にしている時点で「五十歩百歩」でしかない。コロナウイルスも、変異ウイルスも水際で止めようとしなかった「ザル入国」はどうして問題にならないのか。

党首討論は国民が政治家の資質を見極める機会であり、政治と国民の距離を縮めるうえでも役立つとして、社説は今国会の開会にあたり、月1回の定期開催を呼びかけた。実際は会期末まで残り1週間という段になっての実現。与野党には月1回をめざすとした14年の申し合わせを思い起こしてほしい》(同)

 <党首討論は国民が政治家の資質を見極める機会>などというのは勝手な解釈である。党首討論とは、政権交代可能な2つの政党が基本政策を提示し合い議論を交わすのが本来の姿なのであって、政権批判しか能の無い野党に出て来る資格はない。

《野党の多党化で1党あたりの時間が確保できず、論議が深まらないのであれば、党首討論の時間延長や複数回の実施など工夫をこらす必要がある》(6月10日付産經新聞主張)

 が、政権交代など眼中になく、政権批判に終始する野党に幾ら時間や機会を与えても建設的な議論とは成り得ないだろう。

《18年には安倍晋三前首相が関係ない主張を展開。次の討論で枝野氏も主張に力点を置き、「党首討論は歴史的使命を終えた」と互いになじる事態も起きた》(6月10日付信濃毎日新聞社説)

 政権交代の可能性の無い党首討論など不要である。