保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

通常国会閉会について(4) ~神戸新聞社説~

《感染再拡大への備えや政府対応の遅れ、政権を取り巻く疑惑の解明など課題は山積している。国民に長期戦への覚悟を求めながら、丁寧な説明をせず、議論を避ける。閉会を急いだ安倍政権の姿勢は、国民を代表する立法府の軽視にほかならない。

 閉会中も国会は与野党を超えて行政監視と熟議に努め、コロナ禍と政権の迷走から国民の命と暮らし、権利を守り抜かねばならない》(6月18日付神戸新聞社説)

 「桜を見る会」に象徴されるように、野党が国会でやっているのは<議論>ではなく「難癖付け」である。内閣支持率を下げることにしか興味がないかのような追及による時間の浪費は明らかに国益に反する。

 <議論>には「価値観」の違いが前提となる。それが2つの対立する案となってはじめて<議論>が成立する。が、今の野党は「烏合の衆」のごとく「価値観」にまとまりがない。したがって統一見解もない。だから対案を出そうにも出しようがない。

 対案を出そうと努力しているのならまだしも、そのような努力すら見られない。そのようなことをすれば、前の政権交代の失敗から、ただ藪蛇にしかならないことは重々承知している。憲法調査会での審議を拒否せざるを得ない理由もまさにここにある。

《コロナ禍は、社会が抱えるもろさをあらわにした。デジタル化の遅れ、セーフティーネットの粗さ、海外生産に依存しすぎた経済の弱みなどだ。コロナ後の社会像を描く上で避けて通れない課題だが、今国会での議論は深まらなかった》(同)

 問題意識は確かにそうだろう。が、問題は国会が政府を追及する場と化し、議論する場でなくなってしまっていることである。建設的な議論しようにもその能力のある政治家が国会にどれくらいいるのか正直心許(こころもと)ない。

《7年半にわたる「安倍1強」の政治にも変化の兆しが見える。

 首相は、安全保障関連法など世論を二分する政策を、意に沿う官僚を登用し、国会の「数の力」で押し切ることで実現させてきた。

 だが、コロナ対応では決定が二転三転し、混乱を深めた。異論を封じて突き進んできた1強政治は、謙虚さと柔軟性が必要な未知の危機に対しては十分に機能していない》(同)

 <安倍1強>は安倍首相が「群を抜いて強い」からこうなったのではない。与党の反安倍派も、野党も、マスコミも総崩れだから消去法的に安倍首相にしか政治を任せられない状態が続いているだけである。

 例えば、北朝鮮による拉致問題にしても、安倍首相は奪還への意欲を(演技と言われるかもしれないけれども)示している。それに比べ他の人たちはどうか。拉致問題などなかったかのように無視している人達ばかりではないか。

《コロナ禍が国民の政治への関心を高めた側面は無視できない。著名人も加わってツイッター上で抗議の声が広がったことで、検察庁法改正案は廃案に追い込まれた。

 緊急事態宣言による外出自粛や休業要請が続いた数カ月、多くの人が政治は生活に直結していることを実感しただろう。問題意識を持ち、声を上げる人が増えれば、それを変えられることも知った》(同)

 国会で国民が納得のいく議論がなされないために、SNSを使ったりデモを行ったりして、外野の「声の大きさ」で政治を変えようとする動きが見られる。が、これは大変危険なことである。

 否、声の大きさを競うことが危険なことだと分からずに、神戸社説子のように、逆に何か良き事であるかのように思っているらしいところが実(げ)に恐ろしや、と言うべきか。【了】