《コンビニを含むすべての小売店で、レジ袋の無料配布が原則としてできなくなった。タダだからもらってしまう。つい使い捨てにしてしまう−。そんな「生活様式」を変えることができるだろうか》(7月7日付東京新聞社説)
「九牛の一毛」(多くの牛の中の一本の毛)さながらである。こんな取るに足らないことをしても社会は変わらない。たかがレジ袋を買い控えるだけのことをどうして<「生活様式」を変える>などと大層に言わなければならないのだろうか。
レジ袋は普通、買い物の荷物を入れて持ち帰り、すぐに捨てたりしない。荷物の持ち運びに再利用することも多いし、ゴミ袋として使う人も少なくない。レジ袋の消費が減れば、新たにゴミ袋の消費が増えるだけの話である。
《90年代に入ると、レジ袋を含む廃棄プラスチックの問題が深刻化、焼却の際に排出される温室効果ガスや、海に流出したものをクジラやウミガメがのみ込んで命を落とす海洋汚染が国際問題になっていく》(同)
確かに廃棄プラスチックの問題はあったとしても、どうしてレジ袋だけが槍玉にあげられなければならないのか。単なる「生贄(いけにえ)」でしかないのではないか。
一体レジ袋を焼却することでどれほどの量の温室効果ガスが排出されるというのか。また、レジ袋を呑み込んでどれだけのクジラやウミガメが命を落としたというのか。
《廃プラスチックの年間排出量は約900万トン。レジ袋やトレー、ペットボトルなど使い捨ての容器包装類が400万トンを占めている。
このうちレジ袋は約20万トンと推定され、全体の2%程度にすぎない。
しかし、有料化の狙いは「使い捨て文化」からの脱却であり、身近なレジ袋は、その第一歩》(同)
「言うのは只(ただ)」とはよく言ったものだが、普通の頭で考えれば<「使い捨て文化」からの脱却>など出来るはずがない。もし本気でそう思うのなら、レジ袋有料化などというようなけち臭いことは言わずに、「脱ペットボトル」「脱プラスチックトレー」を大々的に主張してみてはいかがか。
《小さなマイバッグを携行し「いりません」と言うだけで、ほんの少し暮らしが変わる。
それが海を守ることにもつながっていく》(同)
東京社説子は何を問題にしているのか。廃棄プラスチックが問題なのか、クジラやウミガメがプラごみを呑み込んで命を落とすことが問題なのか、海を守る(?)ことが問題なのか。
が、レジ袋が有料化されても、何も解決しない。【続】