保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

黒川検事長の辞職について(1) ~法の支配~

《東京高検の黒川弘務(ひろむ)検事長が辞表を提出した。コロナ禍で外出自粛が求められているさなかに、産経新聞記者の自宅で賭けマージャンをしたと週刊文春が報じ、法務省の聞き取りに氏も事実を認めたという。

 公訴権をほぼ独占し、法を執行する検察官として厳しい非難に値する。辞職は当然だ。

 マージャンには、記者時代に黒川氏を取材した朝日新聞社員も参加していた。本日付の朝刊にこれまでの調査の概要を掲載し、おわびした。社員の行いも黒川氏同様、社会の理解を得られるものでは到底なく、小欄としても同じ社内で仕事をする一員として、こうべを垂れ、戒めとしたい》(5月22日付朝日新聞社説)

 2つ引っ掛かる。まず、最近よく新聞が週刊誌ネタを情報源として後付けで報道することが多いように思われるが、恥ずかしくないのか、ということが1つ。もう1つは、朝日社説子は<こうべを垂れ>と言っているが、これは「項(うな)垂れる」ということであって謝っているわけではない。このような言葉遣いでごまかそうとしているのは、本当は悪いとは思っていないのではないか。つまり「厚顔無恥」だと思われるのである。

《黒川氏は検察庁法の定年規定により、2月に退官するはずだった。しかし政府は直前の1月末、留任させる旨の閣議決定をした。かつて例のない措置で、国家公務員法の定年延長規定を適用したと説明された。

 ところが政府自身が過去に国会で、この規定は検察官には適用されないと答弁していたことが発覚。すると首相は「今般、(適用可能と)解釈することとした」と驚くべき発言をした。

 国民の代表が定めた法律がどうあろうと、時の政府の意向次第で何とでもできると言明したに等しい。法の支配の何たるかを理解しない政権の体質と、国会を冒涜(ぼうとく)する行為を見逃す与党の機能不全。その両方があらわになった場面だった》(同)

 朝日社説子自身は<法の支配>をどう理解しているのであろうか。手元の憲法の文献を見ても要領を得ない。実際、憲法学の重鎮・長谷部恭男東大名誉教授も

《法の支配について多くの人々が一致しうる点があるとすれば,それはこの概念が人によってさまざまな意味で用いられることであろう》(『比較不能な価値の迷路』(東京大学出版会)、p. 149)

と言っている。

《わが国では法の支配はしばしばきわめて内容の濃い意味でとらえられ,近代立憲主義の同義語として用いられることがある》(同)

 おそらく朝日社説子も<立憲主義>と同義に<法の支配>と言っているのであろうが、<立憲主義>にせよ<法の支配>にせよ、これらはリベラル派の間では普通に使われている言葉ではあっても、必ずしも日本の政治がこれらの考え方を前提としているわけではないということもまた確認しておくべきであろうと思われる。【続】