保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「国民の幸福を祈ることが皇室の伝統」なのか(2) ~戦前と戦後の矛盾~

《平成28年8月8日に発表された「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」で、上皇陛下はこう仰せになっている。

<即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています>》(江崎道朗:56日付産經新聞「正論」)

 どうしてこうなってしまったのであろう。天皇は伝統的存在なのであって、人工的な憲法によって位置付けられるようなものではない。まして、日本国憲法とは敗戦後占領下において日本に押し付けられた「占領基本法」でしかないのである。敗戦後70年あまりが過ぎたにもかかわらず、<日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇>などと天皇自ら言われることを私は悲しく思う。

天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました》(同)

 ここで言われているのは、伝統を遵守することが「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であるというのではなく、天皇が象徴としての役割を果たすことによって天皇が象徴であると国民が認識するということである。が、伝統に掉(さお)ささぬ天皇は「根無し草」同然ではないか。

《今上陛下は平成30年2月21日、記者会見でこう仰せになっている。

<両陛下も大事にされてきた皇室の長く続いた伝統を継承しながら、現行憲法で規定されている「象徴」としての天皇の役割をしっかりと果たしていくことが大切だと考えています>》(同)

 <現行憲法で規定されている「象徴」としての天皇の役割をしっかりと果たしていくこと>はむしろ「伝統」に反するものである。<伝統を継承>すると言いながら<現行憲法で規定されている「象徴」としての天皇の役割をしっかりと果たしていく>とは矛盾である。

 皇室はいまだこの敗戦後の混乱にいまだ象徴的に巻き込まれている。

 この混乱を正すためには、日本国憲法を改める以外に道はないだろう。が、今の情勢を見る限り、道遠しの感は否めない。否、絶望的である。

 昨今話題となっている憲法改正は戦後体制をむしろ強化するためのものであって、戦前と戦後の矛盾を解消しようとするものではない。おそらく憲法改正のような小手先の修正ではこの矛盾は解消されないに違いない。

 だからこそ、私は過激に日本国憲法を廃止し、英国流の不文憲法を採用すべきだと言っているのである。【了】