保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(22)琉球新報

昨年末のテレビ番組でタレントのタモリ氏が「新しい戦前」と語って注目された。「新しい」という言葉は前向きなニュアンスも含んでいないか。再来させてはならないという意味を込めて「新たな戦前」と言いたい。(琉球新報「戦後78年の『終戦の日』 『新たな戦前』を拒否する」)

 タモリ氏がどのような文脈で、そして、どのような含みを持って「新しい戦前」と言ったのかは分からない。だから一般論として言うが、「新しい」には「経験したことの無い」や「新種の」、「新たな」には「前のものに付け加わった」という意味合いが感じられる。英語では、「新しい戦前」が a new prewar period、「新たな戦前」がanother prewar preriodのように訳し分けられるだろうか。

 敗戦の78年前に当たる1867年の大政奉還以降、日本は近代国家の歩みを始めた。天皇を頂点とする中央集権体制を「国体」として、軍事大国化を目指して戦争に明け暮れ、国家の破綻に至った。(同)

 <天皇を頂点とする中央集権体制>は「國體」(こくたい)ではない。たまたま明治政府が挙国一致して欧米列強に対抗するために天皇を政治利用した体制に過ぎない。「國體」とは、万世一系天皇を日本の歴史文化の「背骨」として有(も)つということである。

 また、明治政府は、欧米列強を押し返すべく「富国強兵」政策を行ったのであって、侵略戦争を行うために軍事大国化を目指したのではない。シナ事変の泥沼化、そして、大東亜・太平洋戦争に踏み込んだのは、ここでは詳しく語ることは避けるが、コミンテルンのスパイ工作、敗戦革命論の影響が大きかったと私は考える。

 戦後の78年間は「戦後の国体」(白井聡京都精華大准教授)として対米従属体制となり、基地の提供などで米国の戦争に加担し続けた。アジア太平洋諸国への加害責任、空襲被害者への賠償、遺骨収集、原爆被爆者援護の拡充など、戦後処理の問題は今も未解決のままだ。(同)

 戦後も「國體」は変わっておらず、「戦後の国体」などというのは「國體」の意味が分かっていない証左だ。戦後が対米従属であるのはその通りだが、<基地の提供などで米国の戦争に加担>するも何も、日本に駐留米軍を追い出す力量がないのだから仕方のないことだ。また、アジア太平洋諸国への加害責任をいまだ問題にしているのはシナと韓国だけだろう。

 最近の世論調査で読み取れる国民の多数意思は、揺れながらも「専守防衛」の平和国家、国際協調による平和外交と「人間の安全保障」を望んでいる。6月の沖縄県知事、今月の広島市長、長崎市長の平和宣言も、共通してそのことを訴えた。しかし、政府は集団的自衛権の行使容認、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有、南西諸島での自衛隊の拡大、防衛費大幅増などを進めた。「新たな戦前」への懸念が深まっている。

 米国の軍事力が断トツで、逆に、シナや北朝鮮の軍事力が弱かった頃は、「専守防衛」などと呑気なことを言っていても許された。が、今後日本が置かれるであろう状況を考えれば、「専守防衛」という言葉に胡坐を掻いている場合ではない。

 安倍政権が閣議決定しただけで、国会での議論がなされていない手続き上の問題はあれど、日本単独で日本を守れない以上、集団自衛が必要であることは言うまでもない。また、敵基地攻撃能力や防衛費倍増の話は、おそらく米国の指示命令によるものであって、米国に隷従している日本が偉そうなことを言えた義理ではない。