保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

【最終稿】半藤一利氏が秋篠宮悠仁殿下の家庭教師だった⁈(2) ~『昭和天皇独白録』を読むべし~

《半藤氏が「質問がありますか?」と聞くと、悠仁さまは手を挙げて「アメリカはなぜ広島と長崎に原爆を落としたんでしょうか?」と質問した。

「質問を受けて、これはなかなか難しいぞ、と思いながらも丁寧に答えましたよ。細かいことは忘れてしまいましたが。

あの戦争は片一方だけが悪いんじゃない、向こう(アメリカ)も悪いんだという説が当節盛んです。ですが、少なくとも戦争の状況に持って行くまでは、日本の責任が大きいと私は考えています」》(『FRIDAY』2019年6月28日号)

 原爆を落とした米国も悪いが、もっと悪いのは戦争を引き起こした日本であるという反日家ならではの暴論である。が、國體さえ護(まも)られれば、米国が原爆を使用せずとも日本は降伏していた。

 米国は出来立ての原爆の威力を確認するための実験を行いたかったこと、さらに戦後のソ連との覇権争いにおいて主導権を握ろうとする示威行為として原爆を投下したのである。原爆使用は「ホロコースト」(大虐殺)であり、明らかな国際法違反である。原爆を投下した米国より日本の責任の方が大きいなどというのは戦前の日本をただ貶(おとし)めたいだけの「妄説」に過ぎない。

 半藤氏はさらなる「妄説」を口にする。

《「私に言わせれば昭和8年以来、日本に外交なんてものは一回もありません」(同)

 昭和8年以降の日本の外交は「外交」として認めないと偉そうに言っているのであるが、外交かどうかの線引き基準が示されなければ、ただの床屋談義である。

《昭和8年3月。決してやってはいけなかった国際連盟脱退から、日本はどんどん突っ走って戦争になり、敗戦になった。昭和27年に独立したといっても、その日から安保条約の傘の下に入り、自分たちのことを米国に丸投げした。それが今まで続いている》(同)

 日本が突っ走ったから戦争になったのではなく、日本は戦争に追い込まれたのである。大枠で見れば、大東亜・太平洋戦争は「侵略戦争」ではなく「自衛戦争」だったということである。

 戦争とは相手を必要とするものであり、独り日本だけが勇み出て起こったわけではない。米国のルーズベルト、英国のチャーチルソ連スターリンに翻弄されていたことも戦後公開された様々な資料や証言からも明らかである。

 太平洋戦争はなぜ起こったかについては、昭和天皇が簡にして要を得た解説をなされている。

《総理になった東条は、9月6日の御前会議の決定を白紙に還すべく、連日連絡会議を開いて1週間、寝ずに研究したが、問題の重点は油であった。

 及川の戦争回避案は、内地で人造石油を造るにある。その為に200万噸(トン)の鉄が入用で、之は陸海軍から提供せねばならぬ、又非常に多くの工場を使用せねばならぬ関係上、内地の産業は殆んど停止の危態(ママ)に陥ることゝなる、之では日本は戦はずして亡びる。

 実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなった以上は、万一の僥倖(ぎょうこう)に期しても、戦った方が良いといふ考が決定的になったのは自然の勢と云はねばならぬ、若(も)しあの時、私が主戦論を抑へたらば、陸海に多年錬磨の精鋭なる軍を持ち乍(なが)ら、ムザ々々、米国に屈伏すると云ふので、国内の与論は必ず沸騰し、クーデタが起つたであらう。実に難しい時であった。その内にハルの所謂(いわゆる)最后通牒(さいごつうちょう)が来たので、外交的にも最后の段階に立至つた訳である》(『昭和天皇独白録』(文春文庫)、pp. 84-85)

 わざわざ半藤先生のお手を煩(わずら)わす必要もない。​【了】

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