保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

8月15日「終戦記念日」社説を読む(17)京都社説その3

さて、沖縄基地問題を考えるにあたっていつも問題だと思われるのは、基地撤退を望む人達が基地反対を唱えるだけで、具体的な撤退案を示さないことである。中には、反対の声を大きくして政府から「沖縄振興」という名目の支援金を釣り上げようと思っている人もいるのではないかと疑われるし、沖縄から米軍がいなくなればシナ(China)にとって好都合だからということで反対しているものもいるだろう。私が問題にしているのはこういった人達ではない。純粋に沖縄の安寧(あんねい)を願う人達である。

 基地反対派に足りないのは、中長期的視点である。現実に米軍が撤退するには幾つか乗り越えねばならない難題がある。

 米軍が沖縄に駐留しているのは、地政学的に重要な所であるからだとしばしば言われている。在沖米軍は、独り極東アジアだけでなく、広くは中東までをも視野に入れ睨みを利かせている。もし、ただ米軍が沖縄から撤退することになれば、軍事的均衡が崩れてしまう。ゆえに、米軍が抜けた穴を日本が埋めることが必要となる。

 米軍が撤退しさえすれば沖縄に平和が齎(もたら)されると考える人達もいようが、それは平和呆けであろう。戦争は、「力の均衡」(balance of power)が崩れたときに起るのであって、太平洋に抜ける海路を確保したいシナにとっては在沖米軍の撤退は願ったり叶ったりなのだ。

 力の空白が生じないためには、日本の自衛隊が肩代わりするしかない。勿論、自衛隊が単独でというのではなく、米軍と連携する形で「力の均衡」を保てばよいのであるが、いずれにせよその主体はあくまでも日本の自衛隊となるということだ。

 人も必要であるし、装備も充実させねばならない。軍事費が嵩(かさ)むことは避けられない。また、「力の均衡」を維持するには、専守防衛の抑止力だけでは不十分であり、これまで封印して来た「攻撃力」を持つことも必要である。そのためには憲法改正も必要となろう。日米安保も見直さねばならない。力の裏付けとなる「核保有」にも踏み込まざるを得ないだろう。さらには、かつて日本はアジアに侵攻し多大なる迷惑を掛けたという「誤解」も解かねばならない。その上で、日本が米軍に代わって「扇の要(おうぎのかなめ)」となることを東アジアのみならず、世界に一定承認してもらうことが必要である。

 といったことをつらつら考えれば、「現状維持」がもっとも安楽で安価だと考えても無理はない。つまり、余程の覚悟と気概がない限り、それもその覚悟と気概を長期にわたって持続させなければ、沖縄の基地問題は解決し得ないということだ。

 が、突然のこととして在沖米軍が撤退するということも考えておかねばならない。そのことはもうすでに始まっていると考えるべきであるが、米国が「世界の警察」であることをやめ、「モンロー主義」へと回帰した場合、否(いや)が応(おう)でも日本の自衛隊が「米軍の穴」を埋めざるを得なくなるだろう。こういった不測の事態も想定しておかねばならないが、そういった「洞察力」を有(も)ち、「深謀遠慮」を巡らすことが出来る政治家がこれからの日本に必要であるのは論を俟(ま)たないのである。