《辺野古に土砂投入 民意も海に埋めるのか》(12月15日付朝日新聞社説)
《辺野古の土砂投入始まる 民意は埋め立てられない》(12月15日付毎日新聞社説)
やはり<民意は埋め立てられない>。
話を本論に戻す。
私は辺野古移設についてこれまで縷々(るる)述べてきた。簡単に言えば、この問題は日本が特に軍事において米国に依存している限り、米国の意向に逆らえないことによるものだということである。安倍政権が沖縄の民意を踏みにじっているというような話ではない。
もし、沖縄から米軍基地を一掃したいのであれば、日本は自力で領土を守らなければならなくなる。否、自分の国を自分たちの力で守るのは当然のことのはずなのであるが、その当然のことが戦後日本は行えていないということである。その意味で、日本は「独立国」の資格に欠けると言わざるを得ない。
《「辺野古ノー」の民意がはっきり示された県知事選から2カ月余。沖縄の過重な基地負担を減らす名目の下、新規に基地を建設するという理不尽を、政権は力ずくで推進している》(同、朝日社説)
安倍政権は、<力ずくで推進>するよう米国に圧力を掛けられているのだから、政権を批判するだけではこの問題は解決しない。沖縄基地問題は日米安全保障条約に関わるものである。つまり、沖縄から在日米軍を一掃するためには、現行の日米安保を変える必要がある。が、これがどれほど困難なことかは言わずもがなであろう。
さらに、現日米安保を解消し、沖縄のみならず日本から米軍基地をただ一掃すれば、北東アジアの「力の均衡」が大きく崩れてしまうから、日本は米軍の空白を埋めるべく自主防衛を強化しなければならないが、9条が日本を守ってくれるという幻想派と国内で衝突することはおそらく不可避である。
さらに、自主防衛だけでは防衛しきれないところもあろうから、新たな同盟を米国などと結び直す必要もある。
こういった交渉を日本の安全を担保しながら行うなどということはほぼ絶望的に思われる。だから現状の体制を維持せざるを得ず、沖縄基地問題もその延長線上にあるわけである。
《中国への備えを考えたとき、沖縄は死活的に重要な位置にあり、だから辺野古が必要だと政府は言う。だが米国は、沖縄駐留の海兵隊のグアム移転に取り組むなど戦略の見直しを進めていて、「抑止力」をめぐる考えも変わってきている。
状況の変化に目を向けずに、辺野古に固執し、県民の反感に囲まれた基地を造ることが、日本の安全に真につながるのか。国内外の専門家が疑義を寄せるが、政権は「思考停止」の状態に陥ったままだ》(同)
安倍政権は米国に言われるがまま辺野古移設を進めているだけである。沖縄が地政学上非常に重要な位置にあることは事実だとしても、そんなことは取って付けた理由に過ぎない。【続】