保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

8月15日「終戦記念日」社説を読む(18)京都社説その4

岸田文雄政権が反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有や防衛費倍増などを決めた後、初の論戦となった先の通常国会は行政の追認機関かと見まがった。

 反撃能力は、米国が攻撃を受けた際も集団的自衛権として行使され得るのか。自衛隊が実質的に米軍傘下に入る事態にならないか。そもそも他国への武力行使憲法上許されるのか。

 幾つも重大な論点があったのに、事前審査で政府と意見を調整する与党は、国会で踏み込まない。野党はばらばらに質問をし、岸田氏は「手の内は明かせない」とかわし続けた。(8月15日付京都新聞社説「終戦の日に<下>「大政翼賛会」にならぬよう」)

 岸田首相にこんな大事なことを決める度量がないことは周知のことであろう。つまり、敵基地攻撃能力にせよ防衛費倍増にせよ指示命令に従っただけのことだと推察される。おそらくそれが米国の指示命令だろうことは(確認の仕様はないが)疑い様のないことだ。

 ワクチン問題もそうだ。新型コロナワクチンは、動物実験はなされたが、臨床試験がなされぬまま人に接種されてしまっている。つまり、実際の接種が臨床試験ということになってしまっているのだ。様々な副反応が報告されているが、副反応を公に認めれば接種できなくなりかねないので、接種結果は公表されない。今やワクチン接種を奨励する国は日本ぐらいである。つまり、日本人が実験台とされ続けているということだ。余程おかしな圧力が日本に対して掛けられているということに他ならない。

 安倍晋三政権以来、本来は行政の意思表示にすぎない閣議決定の重みが増した。唯一の立法府で「国権の最高機関」が、国民の疑問や不安をくみ、行政をただすことをしないからだ。(同)

 安倍政権以来と言うのは、社説子の根拠なき印象操作だと思われるが、立法府が行政府を抑制できていないことは事実であろう。が、立法府が<国民の疑問や不安をくみ、行政をただすことをしない>と言うのは当たらない。野党は安倍首相を目の敵にし、あることないこと「難癖」を付け、マスコミと共に国民の疑問や不安を煽り続けた。このことが政治不信を招いたことは間違いない。また、難癖は付けても本質的議論には踏み込まないことが恒常化してしまった。

ロシアや中国の専横に対し、日本や欧米がよりどころにするのは平和と民主主義の価値にほかなるまい。(同)

 何の拠り所とするのか分からないが、このような国に平和や民主主義を訴えたところで馬耳東風である。平和や民主主義を唱えるだけで世の中が変われば苦労はない。

国会と内閣の熟議で民主主義を築く。力と力がぶつかる国際社会で唯一無二の平和外交を尽くす―。道を誤った歴史を鑑(かがみ)に、それを求め続け得るのは私たち主権者しかない。(同)

 <平和外交>など言葉はあれど中身がすっからかんの只の夢物語である。青二才の小僧が言うのならともかく、一端(いっぱし)の新聞社説を書くような人間が口にするような話ではない。<道を誤った歴史>というのも、おそらく旧態依然とした自虐史観の話なのだろうと思われる。平和な社会は<求める>ものではなく<築く>ものである。