保守論客の独り言

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自民党総裁選:「『負の遺産』にけじめを」という朝日社説(1) ~横柄な朝日~

《直面する諸課題への処方箋(しょほうせん)を競うのはもちろんだが、9年近く続いた安倍・菅政権の功罪を総括し、「負の遺産」にけじめをつけることが、国民の信頼回復には欠かせない》(9月18日付朝日新聞社説)

 政治とは<処方箋を競う>ようなものではない。例えば、不確定要素の多い新型コロナ問題にどのような処方箋を書けるというのだろうか。外交も然りである。いつどのような形で起こるか分からない「有事」に処方箋を書くことなど不可能である。

 弥(いや)増して問題なのは、安倍・菅政権の<「負の遺産」にけじめをつけ>ろと迫る横柄さである。「森友・加計・桜を見る会」は朝日をはじめとする反日マスコミが付けた「難癖」である。自らはこの問題を追求しない。追求すれば無理筋であることが分かってしまうからである。

 例えば、籠池佳茂氏は、菅野完(すがの・たもつ)氏が父・籠池泰典元理事長を唆(そそのか)し捏(でっ)ち上げたのが森友事件だと言っている。加計学園の問題にしても、故・加戸守行(かと・もりゆき)前愛媛県知事は「岩盤規制に国家戦略特区が穴を開け、『ゆがめられた行政が正された』というのが正しい」と反論している。

 だから朝日らは事実から距離をとって「難癖」だけを付け続ける。まさに「破落戸(ごろつき)」の所業である。

《岸田氏は「政治の根幹である国民の信頼が崩れ、我が国の民主主義が危機に陥っている」と述べ、丁寧で謙虚な政治、多様な意見に寛容な政治を掲げた》(同)

 詰まり岸田氏は、安倍・菅政権は丁寧さ、謙虚さに欠け、不寛容であったという認識なのであろう。これは反日マスコミの難癖に賛同しているということになる。日本の民主主義が危機に陥っているほどの状態だという認識なら、どうして総裁選まで大人しくしていたのか。強い存在がいなくなってから批判するのは「卑怯者」のすることである。

河野氏は「政治は国民のもの」だとして、「国民に共感してもらえる政治」をめざすといい、高市氏も国民の命と安心安全を守るため「国民政党の底力」を結集すると語った》(同)

 相変わらず河野氏は何が言いたいのか分からない。「政治は国民のもの」という当たり前のことを今更口にするのは、安倍・菅政権は政治を私物化してきたという認識なのだろうか。が、河野氏はずっと大臣だった。自分が内閣の一員であったのに、その内閣を批判する。そのような責任感の欠如した人間にどうして国民が共感するというのだろうか。

 高市女史が、識見においても、覚悟においても、準備においても他候補よりはるかに優れていることは論を俟たない。が、「55年体制」時の<国民政党>という言葉を使ったのは頂けない。自民党内の対立を避けようとこの言葉を使ったのかもしれないが、むしろ党内の対立を鮮明にし、場合によっては党を割って有権者に判断を仰ぐという選択も有り得る、否、その方が望ましいと私は思うのである。【続】