保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(19)日本経済新聞その1

先の大戦に敗れてから78度目の終戦記念日を迎えた。国内外で戦火にたおれた無辜(むこ)の人々に哀悼の意を表し、平和への誓いを改めて心に刻みたい。(日本経済新聞「戦争阻む歴史を見る眼を培いたい」)

 <戦火にたおれる>の「戦火」は「戦禍」とし、「戦禍に斃(たお)れる」と書くべきだと思われるが…

 それは扨て措き、<無辜の人々>という言い方が引っ掛かる。このような言い方をすれば、国内外で戦禍に斃れた「無辜の民(たみ)」には哀悼の意を表(ひょう)するが、例えば、靖国神社に祀(まつ)られているような「罪深き人々」には哀悼の意を表さないとでも言いたげなように私には思われてしまう。つまり、死者に対する畏敬の念が感じられないということだ。いつまでも「東京裁判史観」に呪縛されたまま死者に鞭打ち続けるのは、「大和心」にそぐわない異邦人の所業と言うべきものではないか。

「『戦前』の正体」(の)著者で近現代史を研究する辻田真佐憲氏は戦前の正体は「神話国家の興亡」だったとみる。

明治国家は古事記日本書紀の神話を利用して「日本は特別な国だった」という物語を創り、欧米列強に負けるはずがないと国民を扇動して富国強兵を進めたという見立てだ。神話国家の物語は無謀な戦争に行き着き、玉砕や特攻という悲劇の結末で幕を閉じる。(同)

 このような話は、奇を衒(てら)う学者の「妄説(もうせつ)」である。「日本は特別な国だから欧米列強に負けるはずがない」という戯言(たわごと)が日本を敗戦へと導いたといった妄想に飛び付く社説子もまた「妄人(もうじん)」の一人と言えるだろう。

戦前の「教育勅語」「国体」「八紘一宇(はっこういちう)」といったキーワードの多くは神話に関係する。辻田氏はこれらが創り出された虚構を解きほぐし、安易な戦前の礼賛に警鐘を鳴らす。

例えば、教育勅語日本書紀の一編を強引に解釈し、親孝行は国体の擁護、つまり天皇中心の国のあり方を守ることにつながってきたという世界観を形成した。国体あっての親孝行であり、親孝行だけを取り出して「教育勅語は良いことも書いてある」という主張は底の浅さが知れよう。(同)

 教育勅語を評価する奴(やつ)は「底が浅い」とは、偉くお高く留まったものだ。親孝行の裏には「國體」(こくたい)があり、「國體」の裏には「天皇」の存在がある。そんなことも知らないから教育勅語の甘言に誑(たぶら)かされるのだ、とでも言いたげである。

 社説子が「國體」も「天皇」も嫌悪する反日人士であることがよく分かる。この偏見の所為(せい)で、教育勅語を素直に読めないのだ。