保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

後藤新平の「政治倫理化運動」について(2) ~彼を知り己を知れば百戦殆からず~

《唯(ただ)黨(党)利黨爭に沒頭して、甲黨と乙黨とが提携したり又合倂したりして、兩黨を分裂せしめたりして、議員の頭數を增すとか、甲黨乙黨兩黨が互に若干增減の頭數になつたとか、ならぬとか云ふこと計(ばか)り考へて居る。それも一時の場合黨人の其日暮しには必要もあるかも知れないが、それのみでは大國策の成るものではない。必ずや外に向つて、眞に公黨たるの實を擧(舉)ぐるに足る調査機關が、今日よりもズンと完全なるものがなくてはならぬのである。(中略)

『あたま數の民本政治』が輿論卽ち愚論といふ通用語を生み來るので、これは當然の樣に世人も心得、政治は日々に墮落し、又多數橫暴で橫紙破りをすることを以て政治は力なり、などゝ大間違にもなつて來るのである。ために眞の民本政治の成立し得ず所謂(いはゆる)オルガニッシュ・デモクラシー-有機的民本政治-が拵(こしら)へ上げられないのである。

諺に三人よれば文殊智慧といふ處に有機的民夲政治の妙があります。然るに頭數民本政治の弊は三人寄れば文殊智慧どころではなく、百人寄つて馬鹿の智慧になるから、斯う云ふことになり至るのであります》(後藤新平『政治の倫理化』(大日本雄弁会)、pp. 24-25)

 野党は同士討ちを避けようと、選挙を睨んで理念・哲学なき「合従連衡」を繰り返そうとしている。こんなことで国の大業を成すことなど出来るはずがない。

 一方で、与党は与党人であることを最優先にし、政府に対し異論・反論することを怠っている。活発な議論なき民主主義では「衆愚政治」となっても致し方ない。

《今の政治家なるものは政權欲に急なる爲め、日本の國際間に於ける地位の上下などは一切失念して居るのではないかといふ感が、諸君の腦裡に生じは致しませぬか(拍手)。私は重ねて諸君に申す、日本は今日こんな調子に安んじて居つて、果して世界列强の競爭塲裡に立つて能(よ)く落伍者たる運命を免れ得べきものであるか如何(いかん)。まずこれを考へていたヾきたいのであります》(同、pp. 29-30)

 「森友・加計・桜」で遊び惚(ほう)けていたら、日本は世界の熾烈な競争から置いてきぼりを喰らってしまうだろう。世界が見えていない政治は危うい。

《私の主張する所のものは、どうか黨派爭にのみ沒頭するやうでなく、少しく心眼を開いて靜かに大局を見て頂きたい、といふことである。卽ち第一に日本の日本…我を知ること、第二に世界の日本…彼を知ること、第三に日本の世界…卽ち我を知らしむる、といふことに到逹するやうに、此三箇條を深く心に銘して段々其の功を收めて貰いたいのであります》(同、pp. 30-31)【続】