保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

選択的夫婦別姓について(5) ~家族解体はアノミーを招来する~

《デュルケイムは19世紀後半のフランス人で、社会学の祖というべき人である。

 彼は人間にとって、また社会にとって、連帯感がいかに重要であるかという学説を展開した。

 人間の連帯感のもっとも基礎となるのは家族である。家族の連帯感が親族に及び、地域に及び、さらには国の連帯感になるのである。

 デュルケイムはさらに、連帯感を喪失したらどういうことになるかを考察した。連帯感を喪失すると、人は医学的には精神障害がなくても、精神障害者よりも恐ろしいことを平気でやるようになると説いた。この状態をアノミーという。

 アノミーは元来は英語で「神の掟を無視すること」の意味で使われていたが、1897年にデュルケイムが『自罪論』という本の中で、いまのような意味で使い出し、英語圏でも1930年代から使うようになったのである。

 アノミーとは、行為を規制する共通の価値や道徳基準を失った混沌状態といえるだろう。このアノミーほど恐ろしいものはない》(渡部昇一『日本を変えよう』(致知出版社)、pp. 231-232)

 家族あればこそ伝統や慣習が継承され保存される。よって、家族が崩壊すれば、社会規範の土台は崩れてしまい、アノミー(無秩序)状態に陥る。そしてその先にあるのが全体主義なる暗黒社会なのである。

《伝統的な一次的人間関係が現代の国家と経済に適合的な機能を示さなくなると同時に、それが諸個人の道徳的情熱に与える意味もまた少なくなってきたという自覚もまた、ますます大きくなってみられる。このような現代の社会的行為にみられるまことに特異な性格はどこからくるのか。

それは、人々が、かつて、家族、近隣、教会等の第一次的集団において獲得していた地位と安全の諸価値を、いまや巨大組織のなかに見い出そうとするようになったからである、と論結せざるをえないところである。

私は、この事実こそ、現代人の心的亀裂と欲求不充足・不満の多くがどこからくるものであるかを明らかに示すものであると思う。それと共に、問題が政治的自由と秩序とに関わって考察される場合の、あの不吉な〔全体主義という〕在り様となって現われる原因でもあると確信する》(ロバート・A・ニスベット『共同体の探求』(梓出版社)安江孝司訳、p. 55)

 だからこそ、我々は個人と国家の間に介在する「中間組織」を大事にしなければならないのである。

《個々の人間の具体的な地位や役割の感情、庇護や自由、善悪の区別、秩序観、罪とか無知に対する意識なども、総じて、このような第一次的集団の枠内における彼の関係から生起し、形成されたものである。かつて、本能とか人間の社会性と呼ばれたことは、実のところ、人間関係のこの局面における所産に他ならない。それは、形式的な道徳律のみならず、ホワイトヘッド(Whitehead)が「われわれが遠い昔から受け継いできた巨大な象徴体系」と呼んだものまでも含み、育むところである》(同、pp. 55-56)​【続】​

(追記)アルフレッド・N・ホワイトヘッドは次のように言っている。

《社会がどのようにしてその個々の成員を、その社会の必要に順応して機能するようにさせるかを検討すれば、そこで一つの重要な作用因子となっているものが、受け継がれてきたわれわれの巨大な象徴様式の体系であることがわかる》(「象徴作用―その意味と機能」第3章:『ホワイトヘッド著作集 第8巻』(松籟社)市井三郎訳、p. 153)