保守論客の独り言

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半藤一利『昭和史』を批判的に読む(1) ~南京大虐殺~

作家・半藤一利氏が亡くなった。私はNHKの歴史ドキュメンタリー番組の監修者として必ずや名前の挙がる氏の歴史観に予(かね)てから疑問を抱いていた。この度90年の生涯を終えられた氏への私なりの「弔(とむら)い」として主著『昭和史』を読み返してみたいと思う。

城山三郎が小説『落日燃ゆ』で非常に持ち上げたためたいへん立派な人と広田さんは思われているのですが、2・26事件後の新しい体制を整えるという一番大事なところで広田内閣がやったことは全部、とんでもないことばかりです》(半藤一利(はんどう・かずとし)『昭和史』(平凡社)、pp. 169-170)

 矢張り言い過ぎであろう。このような言葉遣いをする人の方が余程<とんでもない>と思う。

 成程、「軍部大臣現役武官制」を復活して軍部独裁の道を開き、さらには「日独防共協定」を締結するなど疑問点があったのも事実であろう。が、2・26事件後、軍部に逆らうと殺されるという重苦しい空気の中で独り「火中の栗」を拾ったのであるから、それだけでも評価に値すると考えるべきことである。

 次なる問題は「南京大虐殺」である。

《南京で日本軍による大量の「虐殺」と各種の非行事件の起きたことは動かせない事実であり、私は日本人のひとりとして、中国国民に心からお詫びしたいと思うのです》(同、p. 195)

 <動かせない事実>と言うが、大虐殺を立証するようなものは何もない。そもそも本当にあったのなら、偽写真など造る必要もないし、偽証する必要もない。あるのは「あった」という話だけである。

 にもかかわらず<お詫び>などすれば先人を貶(おとし)めることになってしまう。半藤氏が<お詫び>するのは単なる「偽善」である。

《昭和13年1月、作家の石川達三中央公論から南京に特派されて行っています。前年12月に起きた南京事件そのものは終わっているのですが、それでも相当数の虐殺が行なわれているのを彼は目撃しています。それを小説『生きている兵隊』として発表すると直ちに発禁となり、執行猶予付きですが懲役刑を言い渡されました。それを読んでも、南京で日本軍がかなりひどいことをやっていることはわかります》(同)

 小説『生きている兵隊』は、著者も言うように、

「実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものである」(石川達三『生きている兵隊』(中公文庫)、(前記))

 よって、この創作をもとに「南京大虐殺」を<動かせない事実>などと言うのは極めて悪質な「デマ」である。この一事をもってしても、半藤氏がなぜ「歴史家」ではなく「作家」を名乗っているのかが分かる。【続】