保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

都合の良い民主主義を語る民主主義信者(2) ~戦前の日本も民主主義~

《近代民主政治は、基本的人権の尊重、国民主権、権力分立という基本原理に基づいています》(2月7日付東京新聞社説)

 <人権>だの<国民主権>だのと言うこと辺り、<近代民主政治>なるものがいかに左翼色が強いのかが分かるだろう。歴史的、伝統的なものを足蹴(あしげ)にし、ただ理性に依存する。これほど危ういものはない。

《権力が眼前の出来事を事実として認めず、自らに批判的なメディアや人々を威嚇し、国民を分断したのがトランプ政治です》(同)

 元々米国に分断の芽があったからこそ分断が起こったのであって、それをトランプ氏一人のせいにするのは間違っている。問題は、一方の側に与(くみ)し、他方を攻撃し続ける遣り方である。「両成敗」的な発想を持たない限り、分断は収まり様がない。

《その結末が、バイデン氏の勝利を認めまいと、暴徒が米議会になだれ込む暴力行為です。公正に行われたはずの選挙結果を否定すれば、民主主義は成り立ちません》(同)

 果たして今回の大統領選挙は公正に行われたのか。どうしてそう胸を張って言えるのかが不思議である。公正だったと言い切る方が不正を隠そうとしている疑いを増す。民主主義とは勝者による抑圧なのか。

《明治から昭和にかけての日本でも、大衆運動で民主主義が前進しました。自由民権運動による国会開設や、普選運動による納税額と無関係の普通選挙権の獲得です。

 しかし、大正デモクラシーもつかの間、昭和初期からの軍部台頭で、民主主義は傷付けられ、破滅的な戦争へと突き進みます》(同)

 民主主義が傷付けられたから戦争へと突き進んだのか、民主主義だったから戦争へ突き進んだのか。新聞が民衆を煽り、熱狂が生まれたからこそ戦争へと突き進むことになってしまったのではなかったか。それを独り軍部のせいにすべきではない。

《日本のファシズムはドイツやイタリーのようなファシズム「革命」をもっておりません…大衆的組織をもったファシズム運動が外から国家機構を占拠するというような形はついに一度も見られなかったこと、― むしろ軍部、官僚、政党等の既存の政治力が国家機構の内部から漸次ファッショ体制を成熟させて行ったということ、これが日本のファシズムの発展過程におけるもつとも大きな特色であります》(丸山眞男「日本ファシズムの思想と運動」:『増補版 現代政治の思想と行動』(未来社)、pp. 70-71)

 だったらどうして戦前の日本を<ファシズム>と称しているのか疑問が湧くところでもあるが、それは別の機会に論ずるとして、<軍部、官僚、政党等の既存の政治力が国家機構の内部から漸次ファッショ体制を成熟させて行った>、そしてそこには国民の熱狂があったとなれば、戦前の日本も優れて民主主義的だったか、と思われてもしまうのである。【続】