保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

東京新聞の御用作家、半藤一利氏(3) ~新聞の黒歴史~

《昭和6年当時で大きかったのはラジオの存在です。今のNHKですが、日本放送協会は“国営”ですから、すぐ情報が入ります。満州事変なんか9月18日に起きて、19日の朝の6時からのラジオ体操の放送を中断して、「臨時ニュースを申し上げます」といって、第一報をバーッと報じたんです。

 それから1時間ごとに報じていった。それに新聞はかなわないんですよ。それで号外、号外でなんとか頑張ったけれどかなわない。そういう速報競争への思いもあって、新聞は情報をもらうために軍に迎合していって、それまでの軍縮をよしとする主張を吹っ飛ばしてしまう。それからの新聞はいろんな意味で軍に代わって太鼓を叩いたと思いますよ》(半藤一利『いま戦争と平和を語る』(日経ビジネス人文庫)井上亮編、pp. 256-257)

 ラジオに負けないよう最新の情報を手に入れるために軍に迎合するようになり、軍に代わって戦争を煽った。これも無責任極まりない理屈である。

《どうしても新聞というのは戦争で売れるという事実が厳然としてある。日露戦争における最大の教訓がそれなんです。それに反すると不買運動が起きたりするという事実もある》(同、p. 257)

 売れなかったら自分たちが困るから戦争を煽る。何と自分勝手な話であることか。

《新聞に戦争責任があるとしたら、恐らく一番は毎日新聞ですよ。二番目が朝日ですね。でもねえ、これは外からいわなくても新聞社の人は知っているんですよね。ただ、新聞が少々よくなかったのは、最近までそれをひた隠しに隠してきたことです。今はどんどんオープンにし始めましたけれど。

 新聞がポピュリズムであることは、ある意味しょうがないとは思います。そこで、どうしても「新聞の書くことに騙されるなよ。冷静に自分の頭で考えろよ」といいたくなるんです》(同、pp. 257-258)

 <新聞がポピュリズムであることは、ある意味しょうがない>などと開き直られても困る。「新聞の書くことに騙されるなよ。冷静に自分の頭で考えろよ」とは、「新聞は読者を騙すものだ」と言っているのと同じである。

《売れなけりや成り立ちませんものね。そういう意味では厳しく責めるのも酷かなとは思いますが、せめてウソは書かないようにすべきだった。戦闘がはじまってからのウソがすごいんですよ。前線に行った特派員、新聞記者がみんなすごいことを書いています。頭を撃たれた兵隊が、弾が貫通しているのに、そのまま突撃した、なんて記事を勇ましく書いている。本当に驚きますよ。ああいう講談を書いちゃいかんですね》(同、261)

 嘘でなければ戦争を煽っても良かったのか。新聞に煽られた戦争を戦った先人たちはぼろかすに叩き、戦争を煽った新聞は責任を追及せず甘い評価を下す。えげつない不公平である。【続】