保守論客の独り言

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永井荷風『断腸亭日乗』(3) ~日本滅亡という繰り言(くりごと)~

敗戦後すぐ、9月28日の日記も随分偉そうな書きぶりである。

《昨朝天皇陛下モーニングコートを着侍従数人を従へ目立たぬ自動車にて、赤坂霊南坂下米軍の本営に至りマカサ元帥に会見せられしといふ事なり。戦敗国の運命も天子蒙塵の悲報をきくに至つてはその悲惨もまた極れりといふべし。(中略)我らは今日まで夢にだに日本の天子が米国の陣営に微行して和を請ひ罪を謝するが如き事のあり得べきを知らざらりしなり》(永井荷風『摘録 断腸亭日乗(下)』(岩波文庫)、pp. 283-284)

 現人神(あらひとがみ)が直接政治交渉に関わるということに違和感を覚えるのは仕方のないことではある。が、陛下は負け犬よろしく<和を請ひ罪を謝>したわけではないだろう。

《これを思へば幕府滅亡の際、将軍徳川慶喜の取り得たる態度は今日の陛下より遥に名誉ありしものならずや》(同、p. 284)

 よくもまあ陛下をこのように侮蔑出来るものである。

 陛下はGHQ最高司令官マッカーサーを訪ね、次のように語ったという。

《「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」

 私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである》(ダグラス・マッカーサーマッカーサー大戦回顧録』(中公文庫BIBLIO20世紀)、pp. 202-203)

《幕府瓦解(がかい)の時には幕府の家臣に身命を犠牲にせんとする真の忠臣ありしがこれに反して、昭和の現代には軍人官吏中一人の勝海舟に比すべき智勇兼備の良臣なかりし…我日本の滅亡すべき兆候は大正12年東京震災の前後より社会の各方面に於て顕著たりしに非ずや》(同)

 無血開城ポツダム宣言受諾を同等に扱うのはどうかしている。荷風はどうしても日本が滅亡しないと気が済まないようである。

 昭和18年12月31日も次のように書き記していた。

《今は勝敗を問わず唯一日も早く戦争の終結を待つべきなり。然(しか)れども余窃(ひそか)かに思うに戦争終局を告ぐるに至る時は政治は今よりなお甚だしく横暴残忍となるべし。今日の軍人政府の為すところは秦の始皇帝の政治に似たり。国内の文学芸術の撲滅をなしたる後は必ず劇場閉鎖を断行し債券を焼き私有財産の取上げをなさでは止まざるべし。かくて日本の国家は滅亡するなるべし》(永井荷風、同、p. 219)【了】