保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「GO TO・桜・学術会議」(4) ~まとめ~

《日本の科学研究が軍事と距離を置くのは、平和国家として当然であり、歴史の教訓でもある。

 軍部とそれに迎合する政治家が学問や表現の自由を弾圧して破滅的な戦争に突き進み、国民に大きな犠牲を強いて、塗炭の苦しみを与えた。政治家はその重い事実を決して忘れてはならない》(11月24日付東京新聞社説)

 「東京裁判史観」丸出しである。戦後日本の戦争指導者を裁くために開かれた極東国際軍事裁判東京裁判)は、裁判とは名ばかりの戦勝国による「復讐劇」であった。「平和に対する罪」などという事後法を創って裁いたこと等々は、時計の針を逆戻しにする野蛮の所業であった。

 日本側の清瀬一郎弁護人は裁判冒頭、次のように「動議」を述べた。

「当裁判所の管轄に関する動議につき説明をいたさせていただきます。その第一は、当裁判所においては、平和に対する罪、また人道に対する罪につきお裁きになる権限がないということであります。いうまでもなく、当裁判所は連合国が1945年7月26日、ポツダムにおいて発しました降伏勧告の宣言、その中に連合国の俘虜(ふりょ)に対して残虐行為をなしたる者を含むすべての戦争犯罪者に対しては峻厳なる裁判が行なわるべし、という条規が根源であります。

このポツダム宣言は同年9月2日に東京湾において調印された降伏文書によって確認受諾されたのであります。それゆえに、ポツダム宣言の条項はわが国を拘束するのみならず、ある意味においては連合国もまたその拘束を受けるのでありまして、すなわちこの裁判所は、ポツダム条項において戦争犯罪人と称する者に対する起訴は受けることができますが、同条項で戦争犯罪人と称せざる者の裁判をなす権限はないのであります。

 本法廷の憲章においては、平和に対する罪ないし人道に対する罪という明文はありますけれども、連合国においてかくのごとき罪に対する起訴をなす権限がなければ連合国から権限を委任された最高司令官はやはりその権限はないのであります。自己の有せざる権限を他人に与うることあたわずという法律上の格言は、国際条約の解釈の上においてもまた同様であります。それゆえ、われわれはここに冷静に、厳格に、ポツダム宣言において戦争犯罪人と称する者の意義、限度を決めてかからねばなりません。

しかも、この意味は、今日われわれが考えている言葉ではなくて、1945年7月26日を限度として、その日を境としてこの宣言を発したところの国、この宣言を受けたところの国において、戦争犯罪とは何を考えられていたか、ということを決めなければなりませぬ。

 その当時まで世界各国において知られていた戦争犯罪ということの意味は、結局、戦争の法規、慣例を犯した罪という意味であります。(中略)

平和に対する罪、すなわちその戦争の性質がいかがでありましても、戦争自体を計画すること、準備すること、始めること、イニシェーティング、および戦争それ自体、すなわちウェージンクそれ自体を罪とするということは、1945年7月当時の文明国共通の観念ではないのであります」(清瀬一郎『秘録 東京裁判』(中公文庫)、pp. 53-54)

 このような「インチキ裁判」が示した、戦勝国が自己都合で捏造(でつぞう)した歴史観を<歴史の教訓>などと言うのはただの反日主義者でしかない。

《新聞を始め、テレビ、ラジオ等による情報が今日の如く氾濫し、その中に埋っていると、つい吾々は凡(あら)ゆる情報に接しているものと思い込み、情報から洩れた事実は存在しないと思い込んでしまう。そればかりか、検閲を通った書物がすべて良書と思われ易いのと同様、提供された情報はすべて良質のものであり、知るに値する真実だと思われがちである。これほど危険な事は無い。

情報が事実に取って代り、事実が真実に取って代り、フィクションが現実に取って代る。今の世はそういう時代である》(福田恆存企画監修『日本の将来 新聞のすべて』(高木書房)1975発行、pp. 1-2)​【了】​