保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「GO TO・桜・学術会議」(3) ~「学術会議」編~

《軍事研究を強いるという真の狙いが明らかになってきた。日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題。総合的、俯瞰(ふかん)的判断と言い、真の狙いを隠すのは国民を欺(あざむ)く。(中略)。国会が決めた法律の趣旨を、政府が勝手に変える違法性が問われているにもかかわらず、いつの間にか、学術会議の在り方の問題にすり替わっている》(11月24日付東京新聞社説)

 東京社説子は、政府の真の狙いは<軍事研究を強いる>ことだと言い張る。が、それは勝手な憶測であり、要は印象操作のための「デマ」に過ぎない。朝日社説子も言うように、

《研究成果が民生と軍事の両面で使われる「デュアルユース」は科学技術の宿命》(11月24日付朝日新聞社説)

なのであって、軍事研究は行わないと言い切ってしまうと多くの研究は成り立たない。

 更に、日本のための軍事研究は拒否するけれども、シナのための軍事研究は拒否しないという「二重基準」(double standard)の問題もある。

《科学者の発明や発見は快適で便利な生活をもたらした半面、毒ガス、生物兵器核兵器などをつくり出した。国内外を問わず、意に反して動員され戦争に協力させられた研究者も大勢いる。

 その反省に立ち、あらかじめ歯止めをかけようと学術会議は1950年と67年に「軍事目的の研究は行わない」と表明。3年前にも「これを継承する」との声明を出した》(同)

 これも「嘘」と言うべきだろう。1950年はGHQ占領期である。当然GHQの指導、検閲を受けている。「軍事目的の研究を行わない」というのは<反省>云々というよりもGHQの意向である。要は、日本が再び米国に牙を向けることがないようにGHQが用心しただけであろう。

日本学術会議の言う「学問の自由」とは敗戦の日の思い出漂うムードを頼りにした消極概念で日本の現実に立脚していない。そもそも誰がどのようにしてメンバーに選ばれているか、はっきり分からない秘密集団だ。草創期には人名を出し組織解剖した桶谷繁雄東工大名誉教授による「日本学術会議日本共産党の下部組織だ」という明確な証言もある(「月曜評論」昭和52年10月24日)》(西尾幹二「「自由」を脅かすものは一体何か」:11月19日付産經新聞「正論」)

日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、7期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後は、あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に政党に牛耳られる事態が続きました》(村上陽一郎「学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?」:WirelessWire News 2020.10.07)

 尚、後日村上氏は<7期>は誤りで正しくは「10期以上、30年以上」と訂正されている。文中の<F氏>とは1949年に農林省退官後、1985年まで会員だった福島要一氏のことであり、ある政党とは日本共産党のことであろう。【続】