保守論客の独り言

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選択的夫婦別姓について(3) ~憲法第13条 個人の尊重~

民法の規定は差別的だとして、政府は国連女性差別撤廃委員会から再三廃止を求められてきた》(11月30日付中國新聞社説)

 国連という言い方をするから誤解する。国連とは日本を敵国とみなす憲章を持ち続ける対日「連合国」(United Nations)なのである。したがって、日本を攻撃してくることは当然と言えば当然である。

 民法750条では結婚後、夫婦どちらかの姓を名乗るよう規定されている。が、これを国の歴史や文化を無視して差別的と言うことの方がよほど危険である。つまり、UNは各国独自の事情は配慮しないと言っているのに等しいからである。これはまさに全体主義的思想である。

 戦前日本は戦争を遂行するために全体主義へと振れ、それを反省するために「自由」を尊ぶ憲法を頂いたのではなかったのか。それにもかかわらず、UNからの「抑圧」を有難く頂戴しようとする。自ら「自由」を選択したのではないからこのようなちぐはぐが起るのである。

《夫婦同姓を義務化している国は日本だけ。子どもの姓はどうするか―など詰めるべき点もあるが、導入に向けた議論は待ったなしだ》(同)

 外国に倣(なら)おうとする悪しき「島国根性」がここにある。自国の文化を尊重せず、嬉々として破壊に勤(いそ)しむのは「野蛮」そのものである。他国の状況を参考にするのはよい。が、当たり前であるが、無理に他国に合わせる必要はない。

《夫婦同姓は明治期に家制度の下で定められた。個人の尊重を根幹に置く現憲法の趣旨に合わない》(11月24日付信濃毎日新聞社説)

 日本国憲法第13条に

すべて国民は、個人として尊重される。

とあるのだから、信毎社説子の言うことは分からないでもない。否、立憲主義からすれば、その通りだとも言える。

 が、法体系が英米法と大陸法の2通りあるのと並行して、「個人主義」も2通りあるとの指摘もある。つまり、個人の尊重の仕方も一筋縄にはいかないことに注意が必要である(詳しくは別稿に譲る)。

 そもそもGHQが憲法に<個人の尊重>を書き込んだだけで、日本人が<個人主義>に変わる訳はない。成程、憲法は<個人の尊重>を謳(うた)ってはいる。が、敗戦後、占領基本法を押し付けて日本文化の改変を図るなど神をも恐れぬ、言語道断の所業と言うべきである。

 否、1952年に日本が独立を回復してもなお、占領基本法を破棄せず日本国憲法とし、戴き続けてきたことこそが問題ではなかったのか。これでは未だ日本はGHQ占領下にあると言っても過言ではない。

 日本国憲法とは名ばかりの占領基本法の廃棄は必須である。日本は英国同様にコモン・ロー(common law)に基づく「不文憲法」でいけばいい、それが悠久の歴史を有する日本の「國體」(constitution)ではないか、というのが私の年来の主張である。【続】