保守論客の独り言

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藤谷イタリア学会会長の菅首相批判について(2) ~偏見の表出~

《公務員は国民全員の利益のために働く。政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員の義務である》(「日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明」)

 これはその通りである。が、問題は、政権の判断が間違っているということで批判するのではなく、それがイデオロギー的批判にしか見えないところにある。

 が、私はイデオロギーの違いから政権を批判してはならないと言っているのではない。それなら政府機関を離れて自由に言えばよいと言っているだけである。政府機関内で、自分の思想信条を優先し政権批判するのは「甘え」でしかないのではないかと思うだけである。

菅首相憲法23条が保障している「学問の自由」の意味を理解していない》(同)

 理解していないのは藤谷会長の方ではないか。

《「学問の自由の保障とは、学者が学問的良心に従って行なった言動の評価は、まずは学者どうしの討論に委ね、最終的には歴史の判断に委ねるべきであり、間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授)》(同)

 確かに<学問>は自由である。が、<学問>研究で得られたことを公に発表するのは<学問の自由>の範疇を越えている。これは<表現の自由>と言うべきものであろう。

《「今回、菅首相は、特定の学者の言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》について自分の権限で判断したと告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民に理解される存在ではない》と認めたのである。問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられている》(同)

 そのような禁則があるなどということは初めて聞いたが、それは憲法のどこに書かれているのか。

憲法63条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975年の内閣法制局長官)と見解を示している》(同)

日本国憲法 第63条 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。

 つまり、63条は<議案>についての答弁又は説明であって任命拒否の問題とは関係がない。

《科学分野の基礎研究の予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、また軍事研究に手を染めない学術会議の方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある》(同)

 これは「偏見」である。また、軍事研究を拒否するために研究が制限され、研究費も不足した学者がシナの「千人計画」に手を染めるなどということも起こっている。日本の軍事研究は拒否するが、シナの軍事研究は協力する親中学者の存在も噂されるところである。【続】