保守論客の独り言

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臨時国会開幕(3) ~反安倍連は「極左」か「反日」~

安倍晋三首相はきのうの所信表明演説憲法改正論議を促した。戦後日本の「平和主義」は堅持できるのか、正念場だ》(10月5日付東京新聞社説)

 戦後日本が平和であったのは憲法9条のお陰などという虚妄に捕り憑かれているのだから仕方がないのだろうが、

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう(日本国憲法前文

 などということがいかに愚かなことであるかはシナやロシアや朝鮮の行動を見ても明らかである。日本が平和を唱えていれば平和でいられるなどという「寝言」は寝てから言ってくれということである。

 100人以上の日本人が北朝鮮に拉致され、北方領土はロシアに占領され、竹島も韓国に実効支配されたままである。これをどうして「平和」などと言えるのか。「平和」には多少の犠牲は必要だとでも言うのだろうか。

《日本人だけで310万人という犠牲者を出し、日本が侵略した近隣諸国や交戦国にも多大な犠牲を強いた過去の戦争への反省から、戦後日本は戦争放棄と戦力不保持の憲法9条の下、「専守防衛」に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、平和国家としての道を一貫して歩んできた》(同、東京新聞社説)

 この歴史観を「東京裁判史観」と呼ぶ。裁判とは名ばかりの「復讐劇」において、戦勝国が提出した勝手な「作り話」を、戦後70年以上が経ってなお信じ続けているのは御目出度い限りである。

 日本は戦争の反省から自ら憲法9条を定めたのではない。米国が日本の復讐を恐れて日本を武装解除させたにすぎない。

《首相が、そうした歩みをも守り抜く決意を表明したのであれば、評価もできよう。

 しかし、首相は演説終盤でこうも語っている。「令和の時代の新しい国創り」の「道しるべは、憲法です。令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会」であり、「しっかりと議論して」「国民への責任を果たそうではありませんか」と。

 要は、平和主義の堅持よりも、憲法改正論議を促すことに演説の主眼があったのである》(同)

 が、国の道標(みちしるべ)が憲法だなどというのはまさに理性に偏した左翼の物言いである。安倍首相自身も気付いていないし、左寄りの人たちも気付いていないのは、安倍首相はどうみても左翼人士であるということである。

 日本のように歴史の長い国における道標は歴史や伝統にあると考えるのが保守の真髄であろうが、安倍首相はこれと正反対の考え方の持ち主である。

 その安倍首相を右翼と見なければ気が済まない左寄りの人たちは「極左」か「反日」と言うべき存在である。【了】