保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

東京新聞の御用作家、半藤一利氏(5) ~目標と手段の混同~

《日本には国としてのしっかりした基軸があると半藤さんは書きます。それは、日本国憲法です。

 「この平和憲法こそが人類を生かすための最大の理想であると思います」。そして「今がチャンスなんです。日本が率先して理想主義をどんどんやっていけばいいんです」(『使える9条』)》(同)

 これも原文を引き直そう。

《明治の日本というのは、富国強兵を国家目標にして国民が意思統一して動くんですが、機軸になるのは天皇制です。これは立憲君主制です。それでうまくいってたんですが、日露戦争が終わった後、うぬぼれて調子に乗って、機軸である立憲君主制では面白くない、もっと世界に冠たる天皇制にしよう、というんで国家神道の強調をいうことになっちゃった。それで、国家目標は富国強兵なんてもんじゃなく、もっとでかい太平洋・大東亜の盟主・八紘一宇……なんて空中楼閣的なことになって、結局国を滅ぼすような戦争に突入していくんですね》(「マガジン9条」編『使える9条』(岩波ブックレットNo.721)、pp. 13-14)

 明治の目標は、幕末に結ばれた不平等条約の解消であり、西欧列強の植民地とならぬよう自主独立を守ることであった。富国強兵はその手段であったと言うべきだろう。

 日露戦争以降の半藤氏の解説は余りにも粗雑過ぎて一々反論する気にもなれない。

編集部 そして戦後、日本の機軸が変わったんですね。

半藤 そうです。それが平和憲法だと思うんですよ。それでみんながまとまってやっとここまで来たんです。(同、p. 14)

 半藤氏は直前、明治の基軸は<立憲君主制>だと言っていた。戦後日本も優れて<立憲君主制>である。<平和憲法>は<立憲君主制>の基本法であって機軸ではない。

半藤 国家目標は自由と平和。(同)

 戦後日本の国家目標は、焼け野原からの復興であり、西洋に追い付け追い越せであった。自由と平和はその手段であって、自由と平和が国家目標などということなど有り得ない。

半藤 新しい国柄を作ったものとして、ずっと戦後は変わっていないはずだった。今まで60年間、日本が持ち続けてきた国柄は現実としてあるんですよ。だから、日本人はこれをもっと大事にしなけりゃいけない。(同)

 <新しい国柄を作った>という表現にも違和感がある。果たして<国柄>は人工的に作るようなものなのか。歴史の積み重ねによって醸成されるものではないのか。敗戦までの日本を否定する憲法を導入したからとて、<国柄>が変わると考えるのは余りにも横暴である。

半藤 今の戦争ってのは、きわめて危険極まりないものになっている。戦争の大義はウソでもいい、危険と思われる国への予防先制攻撃は正しい、軍事的勝利は必ずしも平和をもたらさない……。要するにアメリカという大国が勝手な理屈を立てて、アイツは悪いヤツだから叩いてもいいんだ、これじゃ世界は滅びますよ。そのときに、この平和憲法こそが人類を生かすための最大の理想であると思います。(同)

 が、この<人類を生かすための最大の理想>の所為(せい)で、竹島は韓国に実効支配され、北朝鮮に拉致された日本人を取り返すことも出来ない。北方領土にはロシアが居座り、尖閣諸島はシナに奪われかねない状況にある。が、こういったことに護憲派は知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。

半藤 これをめざして世界の国々が頑張ろう、というのはなんら差し支えないと思うんですけどね。でもこれを言うと、そんな夢みたいな理想主義で日本が守れるはずはない、バカを言うな、つて批判されます。しかし、世界中の国がやったことがないからこそ、今がチャンスなんです。日本が率先して理想主義をどんどんやっていけばいいんです。(同、pp. 13-14)

 最早(もはや)いやはやと言うしかない。【了】