保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

歴史教科書:「従軍慰安婦」という言葉の再登場について(2)  ~懐疑的態度が必要~

有村治子参院議員「そもそも、吉田清治なるうそにうそを重ねた詐欺師が、朝鮮半島で暴力の限りを働いて、幼子(おさなご)から母親を引っ剥がし、千人近い慰安婦人狩りをしたなどという完全な作り話の数々を創作し、これらの情報が朝日新聞によって長年にわたり何度も喧伝(けんでん)されてきました。

 平成26年、2014年に朝日新聞が18本、少なくとも18本の記事を取り消すまで、実に30年以上もの間、日本を不当におとしめる虚偽情報を放置してきたのであります。吉田清治を担いだ北海道新聞も、裏付け取材ができていなかったことを認めて謝罪し、8本の記事を取り消しています。新聞赤旗も、記事3点を取り消し、謝罪をしています。これだけの謝罪して取り消された記事がございます。

 何年もの間虚偽を喧伝し、放置してきた報道の大失態によって、また、千田夏光氏が著書で示した根拠のない慰安婦の数が検証もされずに学者や研究者に引用をされ、孫引きをされ、韓国世論に火を付け、国連や国際社会にばらまかれるなど、史実に基づかない偽情報によって日本が不当に非難し続けられたこの国際政治の損失をもう一度再現させるようなことは許されないと考えます。

 今や慰安婦問題は完全に政治問題となっており、この30年間、日韓関係を揺るがし続けた主要課題であります。事実上ここまで大きな社会的影響力を持ってしまっている慰安婦の教科書記述において、今回、従軍慰安婦という表記に対し調査官による審査で全く意見が付けられずに検定を通ったこと自体、大変驚いております」(第204回国会 参議院 文教科学委員会 第4号 令和3年3月22日)

 教科書に「嘘」を書き込む執筆者、それを黙過する調査官、そして異議を唱えぬ文科省。彼らは「共犯者」である。

 ここで重要となるのは情報に対する「懐疑的態度」(skepticism)である。たとえ国がお墨付きを与えた「教科書」に書かれていようとも、必ずしも本当のことだとは限らないという当たり前の「目」が必要だということである。

 否、それは「懐疑主義」といった大層なものではないだろう。歴史教科書が政治的、思想的に利用されやすいものだということを承知してさえいれば、これを真に受けるなどということがどれほど愚かしいことなのかが分かるはずである。

 また、たとえ歴史が政治的思惑を免れたとしても、歴史が一つの「物語」である限りにおいて筆者の主観を排除することは不可能である。だとすれば、歴史は筆者次第で如何様(いかよう)にも書かれ描かれ得るものだということだ。

 「史実」でさえ、それをどの角度から見るのかで意味合いは異なってくるし、他の史実とどのようなつながりを持たせるのかで歴史的解釈に差が生じることは避けられない。【続】