保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

コロナ禍下における外国人労働者について

《コロナ禍で仕事を失うなど生活に困る人が増えるなかでも、とりわけ厳しい状況にあるのが日本で就労する外国人だ。一方的に労働契約を打ち切られるなど不当な扱いを受ける例もめだつ。「外国人との共生」が看板倒れにならぬよう、支援の強化が求められる》(5月29日付日本経済新聞社説)

 「外国人との共生」などという看板がどこまで実態的なものであるのか私は寡聞にして知らない。こんな実態のよく分からぬ「看板」のために支援だ何だというのは間違っていやしないか。

《外国人に差別的な姿勢は許されるものではない。各地の労働局は不当な行為の監視を強める必要がある。商工会議所など地域経済団体も企業に是正を促すべきだ》(同)

 確かに、外国人だからということで差別されるのは問題ではあろう。が、今はそういう問題なのであろうか。日本人であろうとなかろうとコロナ禍で大変な状況にある。そのような中で日本人が優先されることは仕方のないことであろうと思われる。

 聖職者よろしく万人を平等に扱うということは美しいに違いない。が、それを万人に求めることは酷である。

 私が違和感を覚えるのは、社説子がこんな大変な時に外国人を取り立てて擁護することである。外国人を擁護しなければならない何か特別な理由でもあるのだろうか。

 社説子は外国労働者受け入れに積極的な立場なのであろう。言い換えれば、外国人労働者を受け入れなければ仕事が回らない企業を忖度(そんたく)するからこそこのようなことを言うのではないか。

 一方、私は元々外国人労働者を積極的に受け入れることに反対の立場である。簡単に言えば、低賃金労働を使って利潤を生みだす事業戦略には先がないと思うからである。

 日本のような経済先進国が、今後拡大が見込まれる新興国と価格競争をするようなやり方は決して得策ではない。それどころか、日本は先進国として果たすべき責任と義務を自覚すべきだと思う。

 環境問題、エネルギー問題等々、解決すべき問題は山積している。こういった未解決の問題に積極的に取り組むことが経済先進国としての「ノブレス・オブリージュ」(高貴なる者の義務)ではないかと思うのである。

リーマン・ショックのときに政府は、日系ブラジル人らに帰国の支援金を支払う代わりに、就労目的での再入国を人手不足になるまで認めなかった。外国人労働者を雇用の調整弁にしていると海外から批判された経緯がある》(同)

 これは外国人労働者だけの問題ではない。日本の非正規雇用労働者やアルバイト従業員といった労働弱者が<調整弁>となされているのが実態だろうと思われる。こういう状況の中で、どうして外国人労働者だけに焦点を当てようとするか。私には歪(ゆが)んだ議論建てのようにしか思えない。