保守論客の独り言

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新型コロナ対策として「交通税」導入を主張する学者

新型コロナウイルス感染拡大防止のための活動自粛がやっと解かれる中、これに逆行するかのような驚くべき提言が飛び出してきた。

《経済活動について、ゼロか百かではなく、中間程度の自粛のような状況を生み出す政策がある。価格を通じたインセンティブ(誘因)の調整だ。具体的には高速道路や鉄道、航空機といった交通手段に関し、例えば2020年度中だけでも、一定程度の税を課すのはどうだろう。国土交通省はコロナ危機後、期間と地域を絞って高速道路の休日割引をやめたが、応用・拡大版ともいえる》(植田健一・東京大学准教授(金融・マクロ経済)「新型コロナ対策に『交通税』を」:6月1日付日本経済新聞私見卓見」)

 活動自粛によって経済は大きく傷んでいる。にもかかわらず、今後<中間程度>の自粛を続ければどうなるか。そのことが象牙の塔の住人には分からない。

 経済活動が過熱し過ぎてこれを抑制しなければならないというのなら分からなくもないが、地を払うかのような職種業種も多い中で、「血気」(animal spirits)を削ぐかのような提言は理解に苦しむ。

《投機に基づく不安定性がない場合にも、われわれの積極的な活動の大部分は、数学的期待値 ― 道徳的、快楽的、経済的を問わず ―に依存するよりもむしろ、自生的な楽観に依存しているという人間本性の特徴に基づく不安定性が存在する。

十分な結果を引き出すためには将来の長期間を要するような、なにか積極的なことをしようとするわれわれの決意のおそらく大部分は、血気 ― 不活動よりもむしろ活動を欲する自生的衝動 ― の結果としてのみ行われるものであって、数量的確率を乗じた数量的利益の加重平均の結果として行われるものではない。

企業は、それ自身の趣意書の叙述がいかに率直で誠実なものだとしても、主としてそれによって動機づけられているかのように装っているにすぎない。企業が将来の利益の正確な計算を基礎とするものでないことは、南極探検の場合とほとんど変わりがない。

したがって、もし血気が鈍り、自生的な楽観が挫け、数学的期待値以外にわれわれの頼るべきものがなくなれば、企業は衰え、死滅するであろう》(ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』「第12章 長期期待の状態7節」:『ケインズ全集第7巻』(東洋経済新報社塩野谷祐一訳、pp. 161-162)

 が、植田准教授は言う。

《ある活動が周囲の人へ負の外部性(影響)をもたらす場合、抑制のための税を、提唱した英国の経済学者の名前にちなみピグー税と呼ぶ。

一例だが、14年の消費増税率と国内旅行者減少率(観光庁調べ)は1対2程度だった。「コロナ禍対策交通税」導入の場合、例えばコロナ禍以前の半分の交通量を目標とするなら、税率はガソリン税の半分程度を想定できよう。同様に、首都圏などの地方自治体は期間限定で、飲食店などでの消費へ新税を導入する余地もあろう》(同)

 新型コロナ感染が広まっているのなら、<交通税>を掛けることで人の流動を抑え、感染を抑制するという政策は有り得るかもしれない。が、感染が収まっても<交通税>を掛け続ければ、ただ経済活動の足を引っ張ることにしかならない。いやはや。