《同性カップルは犯罪被害給付制度が対象とする事実婚(内縁)にあたるかどうかが争われた裁判で、名古屋地裁は遺族給付金を不支給とした愛知県公安委員会の裁定を認め、請求を棄却した》(6月8日付北海道新聞社説)
大手紙の反応は鈍いが、この判決に不満を漏らす新聞も幾つか見られた。
《社会での理解の広がりに水をさす判決ではないか》(6月10日付東京新聞社説)
《性的少数者への差別・偏見をなくす動きに水を差す判決と言わざるを得ず、見過ごすわけにはいかない》(6月9日付京都新聞社説)
が、制度である限りどこかで線を引かなければならない。そもそも<事実婚>や<内縁関係>に犯罪被害給付制度を適応すること自体に私は疑問を持つが、<同性カップル>にまでこの制度を適用するのは乗り越えなければならない「壁」が更にもう1枚加わることになる。
《税金を財源とする以上、支給には同性間の内縁を認める社会通念の形成が必要で、裁定時は社会的議論の途上だったとし、内縁にあたるか否かの判断は避けた》(同、北海道社説)
私はこの判断は現時点では妥当であると考える。問題があるとするなら、国会でしっかり議論の上、改めるべきは改めればよい、それだけである。
《当時の性的少数者(LGBT)を巡る「社会通念」は、世論調査などでは「形成されつつある」状態だったともみられる。
例えば、15年の毎日新聞調査では同性婚に「賛成」44%、「反対」39%。17年のNHK調査では「同性同士の結婚を認めるべきか」の質問に「そう思う」51%、「思わない」41%。同年の朝日新聞調査では「同性婚を法律で認めるべきだ」49%、「認めるべきではない」39%。いずれも、同性婚の肯定派が否定派を上回った》(同、東京社説)
<「形成されつつある」状態だったともみられる>という苦しい言い回しからも分かるように、まだまだ社会通念の変更を認めるような段階にはない。世論調査で賛否が大きく分かれている以上、今回の司法判断は当然である。
《性の多様性への理解は広がりつつある。法改正が進まない一方、社会生活上の不利益に配慮して、独自に同性間の内縁関係を認証する自治体も増えており、判決はこうした流れに逆行するものだ》(同)
<性の多様性>自体の問題ではない。多様化しようがしまいが個人の自由に属することである。問題は、同性カップルにまで犯罪被害給付制度を適用するかどうかという社会制度における線引きの問題である。
《ここ数年で性的少数者のカップルを公的パートナーとして認証する自治体が約50に増えた。京都市も9月から「パートナーシップ制度」を設ける予定だ。
パートナー認定で、アパートの入居や病院の面接、福利厚生の適用などがスムーズになることが期待されている》(同、京都社説)
が、アパートの入居や病院の面接といった問題は本来、パートナーの認定によってではなく、入居や面接の基準そのものの変更を求めるのが筋ではないか。
同性パートナーという「婚姻の自由」を社会に認定してもらおうとするのは或る意味「矛盾」ではないのかと私などは思うのであるが…