保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「ゼロコロナ病」について(2) ~やはり政治家次第~

《そもそも新しいタイプの風邪ウイルスである新型コロナが、どれだけワクチンが普及しようが「ゼロ」になる可能性は著しく低い。それにもかかわらず無理やり「ゼロ」を目指し、例えば緊急事態宣言を頻発するようになれば(仮に政府が徹底的な補償を行ったとしても、ましてや現下の菅政権のように不十分な補償しかしない状況下ではなおさら)、それによってコロナ被害を上回る被害が生ずるリスクが一気に高まる》(藤井聡:7月19日付産經新聞「正論」)

 弱毒化し感染力を高めようと変異し続ける新型コロナウイルスを抑え込もうとするのはそもそも無理な話である。無理筋の「コロナの無い生活」を目指すのではなく、コロナは無くならない、であるならそのコロナと如何に付き合っていくのかを考えるというのが大事なのではないか。つまり、「ゼロコロナ」ではなく「withコロナ」の社会を考えよということである。

《だからこそ我々は、コロナリスクに最大限の注意を向けつつも、「自粛」に伴う、鬱(うつ)病などのリスク、貧困やDV(家庭内暴力)、そして自殺の拡大リスク、さらには教育機会の損失に伴う様々な長期的な社会・経済被害の拡大リスク等のあらゆるリスクにも可能な限りの注意を差し向けることが必要なのだ。

 そうすることができてはじめて、コロナ禍を全体として最小化できるのだ。その一方で、ゼロリスクを目指せば目指すほどそれ以外のリスクに対する配慮が蔑(ないがし)ろにされ、かえって被害が拡大してしまうことになる》(同)

 が、一口に<コロナ禍を全体として最小化>すると言っても何をどう最小化するのかは一様(いちよう)ではない。例えば、死者数を最小化するとしても、どこまでの範囲をどれだけ拾ってくるのかによって大きく異なってくるだろう。

 そもそもコロナによる死亡者というのも、死亡者がコロナに感染していれば全てコロナ死として勘定しているのが現状なのである。否、そもそもコロナに感染しているという診断自体がどれほど正しいものなのかが不明でさえある。

 実際、PCR検査自体がウイルス感染症の検査のために開発されたものではなく、開発者キャリー・マリス氏は生前、PCR検査を感染症の検査に使うことに反対してもいた。

 また、感染拡大を抑えるために国民に自粛を迫ることが自殺者を増加させる面があるにしても、その因果関係をどう解釈するのかもまた一様ではない。などなど考えれば、結局、政治家が何をどう解釈し判断するのか、その取捨選択に掛かっていると言わざるを得ない。

全国知事会は、新型コロナウイルス対策に関する国への緊急提言を大筋でまとめた。感染拡大防止の強力な措置として、ロックダウン(都市封鎖)の手法の検討を要請することも盛り込む方針》(共同通信2021/8/1 18:19

 目先の「感染拡大」を怖れ、責任回避を優先する知事たち。彼らに足りないのは「責任感」なのか、「判断力」なのか、それとも物事に動じない「胆力」なのか。【了】