保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

外国籍の子供の「学ぶ権利」について(5) ~日本語が不自由な外国籍の子供を指導する困難~

《近年とくに増加している外国人は、ブラジル、フィリピンなど、南米や東南アジアから日本へ働きに来る人たちである(いわゆる「ニュー・カマー」)。こうした「ニュー・カマー」の増加は、日本が「経済大国」といわれるまでに経済発展を遂げた結果である。

ややもすると、日本の経済発展は、もっぱら日本人の努力と勤勉の成果と考えられがちだが、しかし、日本を含む「先進国」の経済発展が、世界的な経済格差の拡大をもたらしているという事実に目を向けなければならない。この事実こそが、「ニュー・カマー」増加の要因であり、それは、「経済大国日本」が必然的に生み出した現象なのである。

そうである以上、これらの人々を受け入れるための条件をきちんと整備し、人間らしい生活を保障したうえで受け入れることは、日本の義務というべきであろう》(浦部法穂『全訂 憲法学教室』(日本評論社)、pp. 60-61

 が、このような話は憲法学の範囲を超えている。「外国人労働者」受け入れの法整備といった問題はやはり政治が主導すべきものである。

有識者会議の議論では、外国籍の子どもの就学も義務化することを検討したが、結論は出なかった。背景には、移民政策を認めない政府の方針がある。それでも、就学不明者が2万人前後も存在するという事実は、国際社会の批判も浴びかねない》(212日付西日本新聞社説)

 これは<外国籍の子どもの就学義務化>というよりも、不法移民をどうするのかという問題ではなかろうか。現政権は外国人労働者を受け入れることに前向きのようであるが、これは多くの低賃金労働者が必要な産業構造に問題の根があるというべきである。

 日本人の低賃金労働者問題も同様であり、有効求人倍率が好転したことをもってアベノミクスの成果としているが、再考の余地があろうと思われるところである。

《さまざまなルーツの子どもたちを受け入れていくことが、豊かな多文化共生社会の実現にもつながる。そのための環境づくりを急ぐ必要がある。教育はその柱となるはずだ》(同)

 <豊かな多文化共生社会の実現>のために、例えば、「治安の悪化」などということが起こっては身も蓋もない。

 日本の文化や伝統を尊重してくれるのならいざ知らず、外国人を受け入れることで日本の文化や伝統が損なわれるというのであれば考えものである。

 外国籍の子供の就学と簡単に言うけれども、日本語が不自由な外国籍の子供を日本の子供たちの中に入れてどうやって指導するのか。それがどれほど難しいことかを考えずに、理想論を展開されても現場が困惑するだけである。【了】